と》、腹、頂《いただき》などには、太古以来といっていいほどの小屋掛けが、思いがけないところに散在する。それがある時は殺生小屋《せっしょうごや》であり、ある時は坊主小屋であり、あるいは神仏混淆《しんぶつこんこう》に似たる室堂《むろどう》であったりする。
由来、坊主小屋は樹下に眠り、石上を枕とする捨身無一物の出家が、山岳を行く時にかりの宿り[#「宿り」に傍点]と定めた名残《なごり》で、殺生小屋は山をめぐって、生きとし生けるものを殺しつくす生業《なりわい》の猟師が、糧《かて》を置くところと定めていたものだという。持戒者と殺生者とが隣合わせに住むのは、あながち塵の浮世の巷《ちまた》のみではない、高山の上にも、人間が足あとをつける限り、このアイロニーが絶えなかったものと見える。
ここ、小梨平、無名《ななし》の沼のほとりに立てられた鐙小屋は、いつの世、誰によって、何の目的のために立てられたかわからないが、今でも人が住んでいる。
けれども、この鐙小屋までは、まだこの沼づたいに相当の距離がある。無名《ななし》の沼の岸を机竜之助は金剛杖をついてではない、それを提げて――静かに歩んで行くと、不意に空《くう》を切って飛んで来た礫《つぶて》が、鏡のように静かで、そして透き通る無名《ななし》の池の中に落ちて、ザンブと音を立てて波紋が、ゆるやかに広がりました。
そこで、竜之助はハッとして歩みをとどめました。仰いで見たところで、岩石の落ち来るべきところではない、俯《ふ》して見たところで、人の気配のないところ。
そこで竜之助は歩みをとどめて、石の降って来た方面に面《おもて》を振向けると、第二に飛んで来た石が竜之助の面をかすめて、再び沼の中に落ちて音を立てました。
第一のものは、いかなるところから、いかなるハズミで飛んで来た外《そ》れ石《いし》か知れないが、第二のものは、たしかに心あってしたものに相違ない。何か自分をめあてに、仕掛ける意図があっての仕業《しわざ》に相違ない。それにしては力の無い石だと思いました。けれども、竜之助の心が動きました。そうして手に提げていた金剛杖の真中を取って、矢止めの型で軽く振ってみた。その杖先に第三の石が飛んで来てカチリと当って下に落ちました。
「ホホホ、驚いたでしょう」
と行手に立って言葉をかけたのは、聞覚えのある声です。いつのまにか叢《くさむら》の上に立
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