蝋燭《ろうそく》がその使命を果して、光明の犠牲を払い尽したから……しかし、それが弁信法師にとってはなんでもありません。光明には光明の使命があり、暗中には暗中の自由がある。特に弁信にあっては、明暗二つの差別が意味をなしません。
 その翌日になると弁信法師は、しょぼしょぼとして檀家《だんか》廻りをはじめました。
「ええ、皆様のおかげで、長々と御厄介になりましたが、昨晩、茂太郎の行方《ゆくえ》がわからなくなりましたものですから、私はこれから、それをさがしに参らねばなりません、お雪ちゃんの帰るまでは、とお約束をしたようなものですけれども、これも余儀ない事情でございますから、あとのところをよろしくお願い申しますでございます……御縁があらば、また直ぐに立帰って参りますが、御縁がないならば、これがお別れになるかも知れません」

         二十九

 信濃の国、白骨の温泉の宿の大きな炉辺で、しきりに猪を煮ているのは、思いがけなく繰込んで来た五人連れのお神楽師《かぐらし》と称する一行のうちの、長老株の池田といった男と、それからもう一人は、北原という同行の男――他の三人の姿の見えないところを以てすると、それは安房峠《あぼうとうげ》を越えて、飛騨《ひだ》の方面へ行ってしまったのかも知れない。
 残された二人は、悠々寛々《ゆうゆうかんかん》として猪を煮ているところを見れば、この二人だけはここにとどまって、冬を越すの覚悟と見える。
「こんにちは。なかなかお寒うございますね」
 そこへあいそうよく入りこんで来たのは、お雪ちゃんです。
「おや、お嬢さん、おあたりなさいまし」
と北原が、薪を折りくべながらいいますと、
「御免下さいまし」
 いつか、相当の馴染《なじみ》になっていると見えて、お雪はすすめられるままに、炉辺へかしこまり、
「先生」
と言って、池田の方へ向きました。
「え」
 長い火箸で火を掻《か》いていた池田は、お雪ちゃんから、思いがけなく先生と呼ばれたので、ちょっと驚いた眼つきをすると、
「少々、お願いがございますのですよ」
 お雪は相変らず人懐《ひとなつ》こい言葉づかい。池田は少々恐縮の色で、
「何ですか、改まって、私を先生とお呼びなすったり、お願いだなんておっしゃったり、痛み入りますよ」
という。
「いいえ、お隠しになってもわかっておりますよ、守口さんがお帰りの時にそうい
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