ころへ間もなく、ゾロゾロと草紙をかかえた近辺の子供が集まって来るものですから、武者修行は到底、薙刀をつかう娘ではないとあきらめて退却する。
 海蔵寺の東妙和尚なども、お松の字をことごとく称美して、
「これは見事なものだ、どうしてわしらは遠く及ばない」
と言いました。それも謙遜だろうが、お松の字はお家流《いえりゅう》から世尊寺様《せそんじよう》を本式に稽古しているのですから、どこへ出しても笑われるような字ではありません。
 そこで今までは、東妙和尚からお手本を書いてもらっていた人が、改めてお松をお師匠番にたのむ。こうなるとお松がこの寺小屋の実際上の校長で、その職分を、いよいよ興味あることに思っています。
 しかしながら、現在|仇《かたき》の家に来て、自分たちが知らず識らずその事実上のあるじのようなところに置かれているのに、当の主人は行方《ゆくえ》が知れぬその因縁の奇《くす》しきことを思うと、お松は泣きたくなります。
 早く、郁太郎を成人させて、立派にこの家を嗣《つ》がせて上げたいものだという心持に迫られる時、お松は、郁太郎を父竜之助に似ないで、祖父の弾正の優れたところにあやからせたいと思います。
 ほどなく傘をさして二人、三人、五人と上って来る石段。
 手習草紙を帯からブラ下げて、風呂敷を首根ッ子へ結えたのが、
「誰だい、ここんちへ、お化けが出るなんていったのは、三ちゃんかエ」
「おいらは、聞いたんだよ、よそで」
「悪いや、悪いや、お化けが出るなんて悪いやい」
「だって聞いたんだもの。おいらが、こしらえ事をいったんじゃねえのよ」
「悪いや、お化けが出るなんて」
 こういいながら石段を上る子供連。村里から机の屋敷へのぼるには、かなりの石段を踏まなければならぬ。
「だって、この間も、旅のお侍がいってたよ」
「何だって」
「あの道場へお化けが出るって」
「嘘だあい」
「聞いてみな、今度、旅のお侍が通ったら聞いてみな」
「どんなお化け?」
「知らねえや、おいらは見たことがねえから」
「嘘だい」
 たしなめ役の丈《たけ》の高いのが、お化け説をどこまでも否定する。
「お化けが出たって、夜だけだろう」
「そうさ」
「夜だけなら怖くねえや」
 いちばん背の低いのが怖くないという。
「与八さんがいらあ、与八さんがいるから怖くねえや、与八さんは力があるんだぜ、とても力があるからなあ」

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