、持ったりしなければ、この社会が成り立つものでないということを、道庵先生がこのごろ思いつきました。
といって、畏れというのは、サーベルや、鉄砲で脅《おどか》すことではない。権柄《けんぺい》ずくで人民を圧制することでもない。神ほとけを信仰して、畏れる心がほんとうに起らなければならないということに、道庵先生が気がつきました。
「べらぼう様、神様ほとけ様が無《ね》えなんというやつがあるものか、お天道様や水は誰がめぐんでくれたんだ、人間が神様をまつるのは、勿体《もってえ》ねえという心の現われなんだ、勿体ねえという心を持たねえ奴は物を粗末にする、物を粗末にする奴は人間を粗末にする、人間を粗末にする奴は国を粗末にする、国を粗末にする奴が、神様を粗末にするんだ」
道庵一流の論法でおしきったはいいが、この案が通過すると共に、路傍の稲荷《いなり》や荒神様《こうじんさま》にまで、いちいち幣帛《へいはく》を奉って行くから、その手数のかかること。気の短い同行の米友がかなりの迷惑です。それでもいちいち道庵並みに、神という神にはみな拝礼を遂げて、武州|熊谷《くまがや》の宿へ入りました。
ここでは規定の神社参拝のほかに、熊谷蓮生坊の菩提寺《ぼだいじ》なる熊谷寺《ゆうこくじ》に参詣をしようと、二人が町並を歩いて行くと、一つの芝居小屋がありました。
おびただしく市川|某《なにがし》の幟《のぼり》を立てた芝居小屋の前を通ると、小屋の窓から首を出していた一人の気障《きざ》な男を道庵先生が見て、
「あれ……あれは水垂《みずたり》のげん[#「げん」に傍点]公様じゃねえか」
といって、ちょっと足を停めました。
水垂のげん[#「げん」に傍点]公というのは、江戸ッ児気取りで、人を見ると二言目には百姓といいたがる気障な奴で、そうかといって、当人は芝居の台本を作るだけの頭はなく、劇評をするだけの腕もなく、演芸の風聞を聞きかじっては、与太を飛ばしたり、捏造《ねつぞう》をしたりして得意がっているが、それも旧式の下品な半畳で、とても今時の表へ出せる代物《しろもの》ではないが、ある大劇場に長くいた年功で、鼻ッぱしが強く、江戸ッ児をその鼻の先にかけているのですが、もし、勝海舟や栗本鋤雲《くりもとじょうん》あたりを江戸ッ児の粋《すい》なるものとすれば、この水垂《みずたり》のげん[#「げん」に傍点]公の如きは、下等な江戸
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