めて人間が光るので、人間そのものの本質を、泥土の中から光らせるという本当の人間がありません……そこへ行くと日蓮は巨人です、日蓮にもったい[#「もったい」に傍点]らしい系図書をくっつけたのは、みな後人の仕事で、日蓮自身の遺文のどこを読んでみても、おれの先祖は誰々だと誇張したところは一カ所もないのです。私は、小湊《こみなと》、荒海《あらみ》、天津《あまつ》、妙《たえ》の浦《うら》あたりの浜辺に遊んでいる真黒なはなたらしの漁師の子供を見るたびに、聖日蓮ここにありと、いくたび感激の涙をこぼしたか知れません。万代不朽の精神界の仕事をする人にとっては、徹底的の卑賤の出身が、どのくらい幸福であるか知れないということを、特に日蓮において、私は衷心《ちゅうしん》にきざまれました……徹底的のところには、すべての人間相が、少しも姿を隠さずに、眼前に現われて来ます、誰も荒海の漁師の子に、阿媚《あび》と諂佞《てんねい》を捧げるものはありません、真実は真実として、虚偽は虚偽として、人間相そのままが、人間を教育してくれるのです」
そこへ金椎《キンツイ》が日本のお茶を持って来ました。
お茶を置いて金椎が、丁寧なお辞儀をして出て行ってしまうと、駒井甚三郎は、そのお茶を白雲にすすめ、自分もすすって、
「今の少年が、あれで熱心な切支丹《きりしたん》の信者なのです、イエス・キリストの……」
と言いますと、
「ははあ」
熱している面《かお》をさましながら白雲は、気のあるような、ないような返事。
「あれの語るところによると、イエス・キリストも、また、微賤なる大工の子の出身だといっています、そうしてキリストが、世界の歴史を両分し、人間の心を支配しているのだというようなことをいっています」
「ははあ」
白雲は再び、気のあるような、ないような返事でしたが、急に思い立ったように、
「そうです、そうです。私はキリストのことをよく知りませんけれど、なんにしても西洋の数千年来の文明を指導して来たのですから、そのくらいの抱負はありましょう。日蓮も言っています、『我レ日本ノ柱トナラム。我レ日本ノ眼目トナラム。我レ日本ノ大船トナラム――』これは開目鈔《かいもくしょう》のうちにあります。『日蓮ハ日本国ノ棟梁《とうりよう》ナリ、予《われ》ヲ失フハ日本国ノ柱幢《はしら》ヲ倒スナリ――』これは撰時鈔《せんじしょう》――」
白雲
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