尾主膳もいない。南条力も、五十嵐甲子雄も昔のこと。お君も、米友も、ムク[#「ムク」に傍点]犬も、暫くはここの天地に生を寄せていたことがあり、女軽業《おんなかるわざ》のお角の一行も、ここで笛、太鼓を鳴らしたことがありました。
 しかし、それはみな夢のように流れ去って、残るところの山河と、町並だけは相も変らず。兵馬の眼で人間がその昔の時よりも暢気《のんき》に見えるのは、自分にさしさわりない他人ばかり残っているというせいでもあるまい。たしかに甲府の市民にとっても、その昔のような辻斬の脅威がなくなってしまったことだけでも、生命《いのち》のゆとりがのびているのかも知れないと思われるほどです。
 柳町の一蓮寺。その昔、お角の一行が女軽業を打ったところへ来て見ると、そこは相変らず賑やかで、甲府人の行楽のところ。
 以前、お角一行の軽業のあったところには、けばけばしい芝居の興行がかかっているらしい。兵馬はその方へ進んで見ると、何かは知らないが人だかりのする絵看板。
 近づいて見ると、思いきって大きな看板に、黒頭巾《くろずきん》をかぶった黒いでたち[#「いでたち」に傍点]の侍の絵姿。
 兵馬は、それを見てゾッとするほど嫌な気持がしました。
 このごろは、世間が殺伐《さつばつ》だから、芝居にも、切ったり張ったりがはやるのか知ら。
 一流の芝居はそうでもないが、年中、活動しているお茶ッ葉芝居は、へらへら役者をかり集めては、無茶に人殺しをやらせる。
 ことに沢村宗十郎が、宗十郎頭巾をかぶりはじめてから、へらへら役者共が争ってこの頭巾をかぶりたがり、切れもしない刀を抜いては嘔吐《へど》の出るような見得《みえ》を切って得意になっているのが、田舎廻《いなかまわ》りならとにかく、江戸のまんなかではやっている。兵馬は至るところで、この黒頭巾をかぶった、駈け出しのへらへら役者が刀を抜いて、へんな見得を切っている絵看板にでっくわして、自分は通人でもなんでもないが、江戸人の趣味も堕落したものだと思う。そうでなければ清元《きよもと》や常磐津《ときわず》で腐爛《うじゃじゃ》けている御家人芝居。ここへ来ても、こんなものを見せられるのか。こんなものをこしらえて持ち歩く興行師の俗悪もさることながら、こんなものを見て興がる見物が情けない。
 兵馬は正直だから、こんな下等な芝居の横行が、剣法の神聖を冒涜《ぼうとく》する
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