が心配になって、急いで宿へ帰り、浅吉をその部屋へ送り届けて、自分たちの部屋の障子をあけようとすると、中からあわただしくそれを押しあけて、
「お雪さん、お帰りなさい」
と飛んで出た後家さん。その上気した顔と、息のはずんだあわてぶりが、この人らしくもないと思いながら、
「ただいま帰りました」
そうして一歩なかへ入って、枕を横にしている竜之助の顔を見ると、それが人を斬ったあとのように冴《さ》えておりました。
幸いにして、山を下って来た笠の一隊は、お雪が心配したほどのものではありませんでした。木曾路を取って京都へ帰ろうとした神楽師《かぐらし》の一行が、ふと道を間違えて、こちらへ入り込んだからやむを得ず、安房峠《あぼうとうげ》を越えて、飛騨《ひだ》へ抜けようとのことです。
お雪は、その由を聞いて安心しましたが、疑えば疑えないことはない。第一木曾路を通るものが、ここへ道を間違えたとは間違え過ぎる。しかしそれとても昔の歴史をたどってみれば、全く無理な間違え方ともいえないので、この一行が宿へ到着して、一浴を試みてから炉辺《ろへん》へかたまっての話に、
「上方《かみがた》から東国への道は、この辺が祖道になるのだ。大同年中に伝教大師が衆生化導《しゅじょうけどう》のためとて東国へ下る時に、上神坂越《かみこうざかご》えとあって、つまり飛騨の高山あたり、笠ヶ岳の下、焼ヶ岳の裏を今の上高地を経て、あの島々谷を松本平方面に出られたに違いない。伝教大師もこの道ではよほど難渋されたと見えて、広済《こうさい》、広極《こうきょく》という二院を山中に立てて、後の旅人を憩《いこ》わしむるようにされたとのことだが、その時代、路らしいものはあったにはあったと思われる。しかし、なにしろ今にしてもこの有様だから、大同年間のことは思われるばかりだ。高僧智識が捨身無一物の信念を以て通るか、しからざれば、天下に旅する豪気の武士《もののふ》でなければ覚束《おぼつか》ない。上神坂越えの難たることは、まさに天に上るの難よりも難かったに相違ない」
と説明するところを見れば、地の理にも、歴史にも、そう暗い人たちとは思えません。
それほどの知識がありながら、わざわざここへ迷い込む由もなかろうではないか。
その説明者を見ると、ついこの間、芝の三田の四国町の薩摩屋敷で、南条力を相手に地図を示して、飛騨の国の国勢を説いていた、た
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