《べに》をぼかした頬。
 片手にギターを持って、まず長次郎と見合い、にっこりと会釈《えしゃく》をする。長次郎はその傍へ行って、これも早口で話をしていると、一方から日本娘の美しいのが一人、三味線を持って出て来る。以前、張幕の下でハーモニカを吹いていた少年連がゾロゾロとやって来ると、西洋婦人は手にしていたギターを取り上げて、調子を合せにかかろうとする。長次郎は、そこを去って、また裏口の方へ向い、
「太夫元は来ないかな」

         二

 この興行が、いよいよ初日《しょにち》の蓋《ふた》をあけた日、人気は予想の如く、早朝から木戸口へ突っかける人は潮《うしお》の如く、まもなく大入り満員となって、なお押寄せて来る客を謝絶《ことわ》るために、座方が総出で声を嗄《か》らしてあや[#「あや」に傍点]まっている光景は、物すごいばかりです。これは勧進元のお角として、当然すぎるほどの結果で、寧《むし》ろこうなければならないはずにはなっているが、やはりこの夥《おびただ》しい人気を見ると、商売気とは違った昂奮を感じながら、場の内外のすべてに気を配っている。
 春日長次郎が、あらかじめ一座の成り立ちの口上を述べて、やがて予定の番組にとりかかる。この口上言いの風俗からして、観《み》る人の眼を新しくしたと見えて、その一言一句までが静粛に聞かれていることも、例《ためし》のないほどで、口上があってから、やがて、改めて観客は舞台の装飾から小屋の天井のあたりを、物珍しく見直したものです。
 この小屋がけは従来の方式とは違って、今日普通に見るサーカスの小屋がけ、日本でいえば相撲の場所とほぼ同じように、円心に舞台を置いて桟敷《さじき》が輪開して後方《うしろ》に高くなる。二千人を収容して余りあろうと思われるほどの広さに、高く天幕《テント》の間から青空の一部が洩れているのを仰いでながめると、人をして従来の劇場とは違った自由と快活の気風を起させる。
 さて、また演技の番組に就いては、厳密にいえば、その前芸は、奇術とか、魔法とかいうよりも、一種の西洋式の軽業といった方が当っている。その間へ、ちょいちょい手品が入るという組合せであります。――けれども、その演芸のことは一々ここへ書き立てない方がよかろうと思う。その時分の人を天上界の夢の国へ持って行くほどに、恍然魅了《こうぜんみりょう》した異国情調を細かく描写してみたところで、その時分の人の驚異は、必ずしも今日の人の驚異ではない。ただしかしその時の見物は、さし換《かわ》る番組と、登場者の風俗と、それに伴奏するさまざまの楽器の音と、使用の装飾の道具類とが、見るもの、聞くもの、異常の刺戟でないということはなく、その眩惑《げんわく》のために、半畳《はんじょう》のための半畳を抑え、弥次のための弥次を沈黙させただけの効果と、堪能《たんのう》とは、たしかに存在したものであります。見物は、たしかに今までに見ないものをみせられたことに、沈黙の満足を表現しているといってよろしい。
 ことに、その準備と訓練がよく行届いていたせいか、番組の進行、道具方や介添《かいぞえ》までが、キビキビした働きぶり、スカリスカリと歯切れがよく進んで行く興行ぶりは、従来、演芸の吉例(?)としての、初日の不揃いとか、幕間《まくあい》の長いとかいうような見物心理の圧制から解放されて、気の短い、頭の正直な見物を嬉しがらせたことは非常なものです。
 演技で酔わされた人が、ホッと我に返ると、
「時間と、幕間は、西洋式に限りますな」
 その西洋式の讃美者は、この興行主のお角が諸肌《もろはだ》を脱いで、江戸前の刺青師《ほりものし》に、骸骨の刺青を彫らせていることを知るものがない。
 前芸の棒飛び、縄飛び、輪投げ、輪廻しといったのは、鍛練した技術で、眩惑の手品ではない。第一番目から手品が一枚加わって――それから四番、五番と立てつづけに、大道具、大仕掛で、華麗と、眩惑と、濃厚と、変幻の異国芸の花々しさを、息をもつかせず展開しておいて、六番目に、
「ジプシー・ダンス」
 この幕間に、ちょっと手間がかかりました。
「何しろ驚いたものですな、今度はジプシー・ダンス。ええと、つまり西洋の手踊りといったようなものだそうで」
 お茶を飲み、煙草を吸って休養を試みているところへ、春日長次郎がまた改めて口上言いに出ました。
 これより先、開場の前までは、場内を隈《くま》なくめぐって気を配っていたお角、開場と共に、楽屋と表方の間に隠れて、始終の気の入れ方を見ている。
「梅ちゃん、この次は西洋の踊りですから、向うへ行って、よく見てごらん」
 附いていたお梅に、参考としてのジプシー・ダンスを見学さすべく、お附の役目を解いて暫時のお暇を与えると、娘分のお梅は有難く、喜んでお受けをして、
「それでは行って参ります」
 外行のような挨拶をして、そっと見物席の後ろへ廻ろうとすると、お角が、またそれを呼び留めて、
「かまわないから御簾《みす》の桟敷のね、あいているようなところへ入って、ゆっくりごらん」
「有難うございます」
 お梅は再びお辞儀をして行ってしまいます。
 まもなく、見物席の背後から隠れるようにして、正面東側、そこに御簾をかけた一列の桟敷の後ろへ来て、お梅は怖々《こわごわ》とその一端を覗《のぞ》いて見ました。
 ここに、御簾の桟敷というのは、小屋がけとしては異例の設備であります。けばけばしくはないが、ともかく、この一列は御簾を下げてあって、ある一組の連中もここから忍んで見られるし、個人個人もまたここから多数の目を避けて、演芸だけを見得ることのような組織になっていました。
 こういうことは、誰かしかるべき黒幕があって、相当の身分あるものの、市井《しせい》を憚《はばか》る見物のために、特に用意をしたものと見なければなりません。木戸口からは、どうもここへ案内されたものを見たことがないから、多分この表の水茶屋から案内された特別の客だけが、前約あって、ここへ送られて来るはずになっているものと見えます。すべての観覧席は、爪も立たぬほどの大入りとなって、入場謝絶に苦しんでいる際に、ここだけは充分の余裕を残して、いついかなる人をも迎え得るようにしてあります。すでに、御簾《みす》の蔭からうかがうこの席の見物の中には、頭巾《ずきん》を取らない武士《さむらい》もあれば、御殿女中かと見られる女の一団もあります。
 お梅は親方から許されて、怖々《こわごわ》この桟敷の一端を覗いて見ると、幸いに、そこは八人詰ほどの仕切られた席が残らずあいていましたから、そっと入って、片隅に身を寄せ、手すりに軽く肱《ひじ》を置いて、改めて落付いた見物気分を起しました。
 この時は、もう楽屋も総出で、広小路の女軽業から手隙に来た連中も、争って、次に行われるジプシー・ダンスを見学しようとして最寄《もより》最寄《もより》へ出て行ったあと、お角は秘蔵の娘分のお梅まで出してやったものですから、この盛んな、この広い、この気忙しい中で、しばらく気を抜いたようなひとりぼっち[#「ひとりぼっち」に傍点]になると、思わずホッと吐息をついて、のぼせた頬を、ちょっと両手でおさえてみて、それから楽屋の窓の所へ、思わず凭《よ》りかかりました。
 窓といっても、本来が仮小屋ですから、特にそれがために切ったのではなく、幕を下ろせば壁となり、幕を絞れば窓となるだけの組織ですが、ちょうど、その幕が絞ってありましたから、お角は、その傍へ寄って柱に凭りかかって、外の空気に触れると、ここは高いところですから、眼の下に新しい世界が、新たに展開した心持がしました。
 新しい世界といっても、場内の変幻出没のような夢の国の世界が現われたのではなく、尋常一様の両国回向院境内の世界ですけれども、人気と、眩惑と、根《こん》づかれの空気にのぼせ[#「のぼせ」に傍点]たお角にとっては、その尋常一様がまた新世界のように感ぜらるべき道理でもあるが、ことにその眼の下に現われたのは、回向院の墓地でありました。乱離たる石塔と、卒塔婆《そとば》と、香と、花との寂滅世界《じゃくめつせかい》が、急に眼の下に現われたものですから、お角は目をすま[#「すま」に傍点]しました。
 お角が人いきれの中から面《おもて》を窓の下に曝《さら》すと、そこは回向院の墓地であります。卵塔《らんとう》と、卒塔婆の乱離たる光景が、お角の眼と頭とを暫しながら、思いもかけない別の世界に持って行きました。
 お角は、その荒涼たる人生の最後の安息所を、我を忘れて見下ろしていた間は何事もありませんでした。
 そのうちに、墓地の一方の木戸をあけて、静かに内部へ足を運んで来る二人づれのお墓参りのあったことを気づいたまでも無事でありました。
 一方、魔術の世界の華麗と、眩惑に浸っている群衆と、また一方、こうしてしめやかに人生の最後の安息所へのお参りに足を運ぶ人とが、背中合わせになっている。それをお角は、やはり無心にながめて、頬のほてりを冷している。お墓参りの二人の者もそれを知らず、まだ新しい木標《もくひょう》の前に近づくと、二人のうち、案内に立ったお屋敷風の小娘が、
「ここでございます」
で、手にかかえていた阿枷桶《あかおけ》をさしおくと、それに導かれて来た、塗笠に面《おもて》を隠した人柄のある一人のさむらい[#「さむらい」に傍点]。
 手に携えていた香華《こうげ》を、木標の前の竹筒にさして、無言に立っていると、娘は阿枷の水を汲んで、墓木《ぼぼく》と花とに注《そそ》いでいる。
 塗笠のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、木標の前に立って、軽く頭《こうべ》を下げて、感慨深く立っている。
「殿様、どうぞ、お水をお上げくださいまし」
 娘は杓柄《ひしゃく》を武士の手に渡すと、それを受取った武士は、墓に水を注いで、
「この文字は誰が書きました」
「御老女様からのお頼みで、大僧正様が書いて下さいました。御老女様は、そのうちお石塔を立てて、そのお石塔の後ろへ、朝夕《あしたゆうべ》の鐘の声、という歌を刻んで上げたいとおっしゃいました」
 高いところで、見るともなしに見ているお角の耳へは、無論この二人の問答は入りませんが、満地の墓碣《ぼけつ》の間にただ二人だけが、低徊《ていかい》して去りやらぬ姿は、手に取るように見えるのであります。そこで、お角は早くも、これはしかるべき大身のさむらい[#「さむらい」に傍点]が、微行《しのび》で、ここへ参詣に来たものだなと感づきました。表には憚るところがあって、この娘だけが一切の事情を知っていて、お殿様の案内をして、こっそりと参詣に来たものだなという感じは、お角のような打てば響くところのある女性には、見て取ることが早いと見えます。
 その大身のさむらい[#「さむらい」に傍点]と思われる人品のあるのは、最初から笠に面を隠していますから、その何者であるやは確かにはわかりませんが、羅紗《らしゃ》の筒袖羽織に野袴を穿《は》いて、蝋鞘《ろうざや》の大小を差し、年は三十前後と思われるほどの若さを持っているのが、爽やかな声で言います、
「それから、あの奇怪な風采《ふうさい》をした少年、少年といおうか、或いは若者といおうか、正直にして怒り易い、槍に妙を得た、あれの幼馴染《おさななじみ》といった男は、どうしていますか。あの男を、そなたは御存じか……君《きみ》は絶えずあの男に逢いたがっていたのだが……」
「ああ、米友さんのことでございますか……」
と娘が答えた時に、大魔術の小屋で大太鼓と金鼓《きんこ》の音がけたたましく、鳴り出しましたから、墓地の中の二人も、これに驚かされ、問答の半ばでふたりいい合わせたように、この高い天幕の小屋を見上げますと、そこで計らずも、窓から見下ろしていたお角と面《かお》を見合わせました。
「おや?」
と驚いたのはお角です。こっちは窓に人がいると気づいただけですけれども、お角はこの墓地の中から、笠の面《おもて》を振上げたその中の人を見て、驚いてしまいました。その人は、もとの甲府勤番支配、駒井能登守に相違ないと思ったからです。
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