ね、その思い出にひとつ、しっかり[#「しっかり」に傍点]やって下さいな。なあに、今までだってこれが嫌いというわけじゃなかったんですが、河童《かっぱ》のお角さんてのがあったでしょう、同じ名前ですから、気がさしてね。恥かしいっていう柄じゃありません、真似をしたように思われるのが業腹《ごうはら》でね。こう見えてもわたしゃ、真似と坊主は大嫌いさ。今までだってごらんなさい、そう申しちゃなんですけれども、人の先に立てばといって、後を追うような真似は決して致しませんからね。よその人気の尻馬《しりうま》に乗って人真似をして、柳の下の鰌《どじょう》を覘《ねら》うような真似は、お角さんには金輪際《こんりんざい》できないのですよ。ですから、今度だって、外《はず》れりゃあ元も子もないし、当ったところで嫉《ねた》みがあるから、身体をどうされるかわかったものじゃなし、どのみち骨になるつもりで乗りかかった仕事ですから、その思い出に素敵に大きな骸骨の骨《あたま》を一つ彫っていただきたいと、こう思いついただけなんですよ……何ですって、骸骨だけじゃ色が入らないから淋《さび》しいでしょうって? なるほど、それもそうですね。それじゃ、骸骨のまわりに燃えたつような大輪の牡丹《ぼたん》でも彫っていただきましょうか。なにぶんよろしく頼みます」
 こういってお角が背中を向けたのは、そのころ名代の刺青師《ほりものし》、浅草の唐草文太《からくさぶんた》といういい男です。お角の刺青《ほりもの》が彫り進むと共に、回向院境内の小屋がけも進んで行くうちに、以前の広小路の女軽業の小屋の一部は、新しい一座の楽屋にあてられました。
 そこには、従来の一座と別廓をつくって、大一座《おおいちざ》の新面《しんがお》が、雑然たる衣裳道具の中に、血眼《ちまなこ》になって初日の準備を急いでいる。
 このいわゆる「切支丹」訂正「西洋」大奇術の一座の頭梁株《とうりょうかぶ》とも総支配人とも覚しいのは、頭のはげた五十|恰好《かっこう》の日本人で、白く肥った好々爺《こうこうや》ですが、ドコかに食えないところがあって、誰か見たことのあるような人相です。知っている者は知っているが、知らない者は知らない。この男は、たしか春日長次郎といって、先年、柳川一蝶斎の一行の参謀として西洋へ押渡ったはずの男であります。この男の指図で、準備と稽古に忙殺されている連中のな
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