ずに、巧妙ないい廻しをして味を持たせたつもりで下へおりて来ました。
 これはお角としては、甚だしい手ぬかりで、すっかり裏を掻《か》かれていることを気がつかないで、すべてを手の内へまるめておく気取りでいるのが、笑止《しょうし》といわねばなりません。
 この一件にしてからが、お角としては最初から、金助のようなおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]を使わずに、七兵衛なり或いはがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵なりに頼むべきはずのところを、なにしろ、あの二人あたりは役に立つ代りに、役に立ち過ぎる憂いがある。おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]ながら、金助ならば使ってさのみ毒になるまいと、たかをくくったのがお角の誤りでした。おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]は到底おっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]以上のことをしでかさず、味のあるところを、前以てべらべらと喋《しゃべ》ってしまったのですから、お角に残されたところは骨と皮ばかりです。それを骨とも皮とも知らずに、たんまりと貯えているつもりのお角の気取り方は、近来にない失策です。
 しかし、その失策は、翌日の夕方まで現わるることなくておりました。その翌日になるとお角は、前の日のように、娘分のお梅をひきつれて、向両国の興行場へ出かけ、お銀様には一人で留守居をさせておきました。
 こうして昨日と同じように、甘んじて一人で留守をうけごうたお銀様は、お角母子が出て行ってしまうと、急に手紙を書きはじめ、それが終ると、そわそわとして身の廻りをこしらえにかかったのを見ると、着ていた今までの女衣裳を脱ぎ捨てて、戸棚から取り出した行李《こうり》の蓋《ふた》をあけて、着替えをして見ると、それは黒紋附の男物ずくめであります。その上に袴まで穿いて、なお戸棚の奥から取り出した細身の大小一腰、最後に寝るから起きるまでかぶり通しのお高祖頭巾《こそずきん》を、やはり男のかぶる山岡頭巾というものにかぶり直して、眼ばかりを現わしました。
 で、立ち姿を見ると、それと知ったものでなければ立派なさむらい[#「さむらい」に傍点]の微行姿《しのびすがた》です。今にはじまった着こなしとは誰にも思われない。お銀様はこの仮装には慣れているらしい。
 男の姿になりすましたお銀様は、あとを取片づけ、脇差をたばさんで刀を提げ、ずっしずっ
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