っぴき》ならぬ相手につかまったものと観念をしたのでしょう、お角の案内に随って、遠慮をするお松を引具《ひきぐ》して、ついにこの小屋へ足を向け、
「相変らずエライことをやり出したな。なに、切支丹の魔術……それは面白い。この看板は誰がかいたのじゃ、日本人に描かしたのか、彼地《あっち》から持って来たのか。向うの下絵によって写したと。なるほど、横文字入りで変った図柄じゃ、とにかく、これだけのことをやり出したお前もエライが、向うへ渡ってこれを持って来た奴もエライな。ナニ、春日長次郎……柳川一蝶斎の一座で先立ちして来た男だと。知らん、すべて拙者はまだ日本のものも、西洋のものも、手品というは評判だけに聞いて、本物を見るのは今日がはじめてじゃ。日本のものを向うへ持って行けば相当に面白かろう、むこうのをそのままこっちに見せることは一層珍しい。誰が周旋してくれたのじゃ。ほかの興行と違って、見る人に新知識を与え得るものでなくてはならぬ」
 駒井甚三郎はこういいながら、相撲茶屋から御簾《みす》の桟敷《さじき》へ案内されました。

         三

 駒井甚三郎とお松が案内された席は、ついたった今、お梅がそっと入り込んだ御簾の桟敷の一間であります。
 それと見てお梅は、遠慮して席を避けようとするのを、お角が、
「いいから御免を蒙《こうむ》って、そうしておいで」
 そこで、この一間には主客都合四人が納まった時分に、ようやく春日長次郎のジプシー・ダンスの口上が始まりましたから、駒井甚三郎は、ちょうどこれを見るために、わざわざこの席へ来たような具合になりました。
 春日長次郎は、五十恰好の禿《は》げた素頭《すあたま》の血色のよい面《かお》をして、例の和服とも、支那服ともつかない縫取りのある広袖の半纏《はんてん》に、大口のようなズボンを穿《は》いて、舞台に現われ、
「さて、東西のお客様方、初日早々かくばかり盛んな御贔屓《ごひいき》をいただきまして、一同の者、何とお礼を申し上げよう術《すべ》もなく、有難涙に咽《むせ》びおりまする次第でございます。ただいままで、だんだんとごらんにそなえました技芸、ことごとくお気に叶いまして、楽屋一同の感謝にございまするが、ことにこのたびごらんに入れまするは、ジプシー・ダンス……これはお聞き及びでもございましょうが、太古より今日に至るまで、亜細亜《アジア》洲と欧羅巴《
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