れつ》な根性に出でたのではなく、誰かにそそのかされて、何の気なしにやったことが諒解が届いたから、役人たちも、単に張紙をさせるだけで、後は問いませんでした。
この勧進元の女こそ、女軽業《おんなかるわざ》の親方のお角《かく》であります。ともかく、今度の興行には、有力なる金主か黒幕が附いたに違いない。従来の広小路の軽業小屋では狭きを感じて、新たに回向院境内へすばらしい小屋を立てたのでもわかります。
「御冗談でしょう、看板でオドかそうなんて、そんなケチな真似をするお角さんとは、憚《はばか》りながらお角さんのカクが違いますよ、蓋をあけたら正味を見ていただきましょう、正銘手の切れる西洋もどりのいるまん[#「いるまん」に傍点]ですよ。大道具大仕掛の手間だけでも、お目留められてごらん下さい、小手先のあしらいとは、ちっと仕組みが違うんですからね」
こういってお角が気焔を吐いているところを見れば、おのずからその自信のほどもうかがわれようというものです。
事実、このたびの興行は、以前のようなケレン気を脱したところがある。宇治山田の米友を黒く塗って、印度人に仕立てて当りを取ったペテンとは違って、何か、しっかり[#「しっかり」に傍点]した拠《よ》りどころがなければ、こうは大げさになれないものです。
ここに慶応のはじめ、大小日本の手品を表芸《おもてげい》にして、イギリスからオーストリーを打って廻り、明治二年に日本へ帰って来た芸人の一行がある。白い紙を蝶に作って、生命を吹き込んだ柳川一蝶斎を座長として、これに加うるに、大神楽《だいかぐら》の増鏡磯吉、綱渡りの勝代、曲芸の玉本梅玉あたりを一座として、日本の朝野《ちょうや》がまだ眠っている時分に、世界の大舞台へ押出した遊芸人の一行があります。その一行の中から、何か目論《もくろ》むところがあって、英国の興行中に、急に便船によって日本へ帰って来たものがある。それが、御家人崩れの福村あたりから、この社会へ何か渡りをつけたようです。
遊芸――なるが故に国境が無かった。吉田松陰は、これがために生命を投げ出し、福沢諭吉も、新島襄《にいじまじょう》も、奴隷同様の苦しみを嘗《な》め、沢や、榎本《えのもと》は、間諜同様に潜入して、辛《から》くもかの地の文明の一端をかじって帰った時分に、柳川一蝶斎の一行は、悠々として倫敦《ロンドン》三界《さんがい》から欧羅巴《
前へ
次へ
全144ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング