院様をでございますか?」
「うむ」
「どう思うと仰せられましたのは?」
「つまり、いい人か、悪い人か、愛すべき人か、憎むべき人か……」
「左様でございますねえ……」
 婆さんは箒の手をとどめて、今更のように天樹院殿の大きな石塔を仰ぎ、
「お美しい方であったと存じます」
 そういってお婆さんは、にっ[#「にっ」に傍点]と笑って駒井の面《かお》をながめます。今に始まったことではないが、このお婆さん自身がむかし美しい女であったに相違ない。いや美しいというよりは、美しいそのものを売り物にした経歴をたどって来た女ではないか。つまり、それ[#「それ」に傍点]者上《しゃあが》り、そういったものが、晩年のいとなみ[#「いとなみ」に傍点]を墓守で暮らしているのじゃないかと、誰にも一応は想像されることです。
「お美しくなければ、あんな騒動は起りますまいから……」
と付け足したが、この返事は駒井の期待しているところには少しも触れない。
「それではお前、坂崎出羽守と本多中務《ほんだなかつかさ》と、どちらが仕合せ者と思う?」
「それはきまっておりますよ」
「ふーむ」
 今度は駒井が微笑しました。駒井の微笑は、今の返答が、わが意を得たるところから来たもののようだと、婆さんは早合点をして、
「本多様は果報なお方でございますわね、それとくらべて坂崎出羽守様ほど御運の悪い方はありますまい……それというのも、あなた、殿方も男ぶりがやっぱりお大切でございますね。容貌《きりょう》を命とするのは女ばかりではございませぬ。仮りに坂崎様が本多様のようないい男であってごろうじませ、天樹院様だっておいやとは申しますまいよ」
 これは婆さんが一歩立入って、充分にうがった[#「うがった」に傍点]つもりでしたけれど、駒井甚三郎は顔の筋一つも動かすことをしません。何とも響かないものと見えましたから、婆さんも張合いが少し抜けました。そのとき、駒井は、むすんでいた口を開いて、
「わし[#「わし」に傍点]は、そうは思わない、本多はやはり不幸な男だ、不幸な程度においては坂崎に劣らない」
といいました。
「どう致しまして、あなた、本多様がお不仕合せなら、この世に殿方の果報というものはござりませぬ。何しろ、豊臣|大納言《だいなごん》様のもとの奥方に思われて……命がけでお救い申し上げた殿御を、振りつけて、そうして思う存分に、絵に描いた美
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