兄貴、何をしているのだ」
悪い奴が来たもので、これはがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が風のようにやって来て、いつか後ろに立っているのでした。
「百、何しに来たんだ」
悪いところへ悪い奴と思って、七兵衛が苦りきっていうと、百蔵は洒唖《しゃあ》として、
「日光街道の大松原で、ふと兄貴の後ろ姿を見かけたものだから、こうしてあとをつけてやって参りましたよ」
「油断も隙もならねえ」
七兵衛が鍬をついてがんりき[#「がんりき」に傍点]をながめていると、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、その鍬と七兵衛の掘り出した油紙包の箱と両方へ眼をくれながら、
「ひとつ折入って兄貴にお聞き申したいことがあって、それ故、おあとを慕って参りました」
「それはいったい、どういうことを聞きたいのだ」
「ほかでもありませんが、この道中筋を横と縦へ向って、今がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵がしきりに捜し物をして飛び廻っているという次第ですが、その捜し物というのは、兄貴の前だが……」
「わかってる、わかってる」
七兵衛は頭を振って、
「手前《てめえ》が、そうしてのぼせ[#「のぼせ」に傍点]切って東西南北を血眼《ちまなこ》で馳け廻っている有様を見ると、おれは不憫《ふびん》で涙がこぼれる、仕舞《しまい》の果てにはなけなしの、もう一本の片腕をぶち落されるくらいが落ちだろう……色狂《いろきちが》い!」
「その御意見は有難えが、時のいきはり[#「いきはり」に傍点]で、つい引くに引かれねえ場合なんだから、どうか友達甲斐に、このがんりき[#「がんりき」に傍点]の男を立ててやっておくんなさいまし」
「馬鹿野郎!」
「まあ、そうおっしゃらずに……ときに兄貴、いったいこれからがんりき[#「がんりき」に傍点]はどっちへ振向いたら目が出るんでございましょう、そこのところをひとつ」
「おれは易者ではないから、そんなことは知らねえ」
「それが兄貴の悪い癖なんだ、目下《めした》の者をあわれむという心が無《ね》えんだから」
「よし、それじゃ、お情けに一つ言って聞かそう。およそ、甲州の裏表、日光の道中筋で、この間中から、俺は三つの怪しい乗物を見たんだ、その一つは高尾の山の蛇滝《じゃだき》の参籠堂から出て、飯綱権現《いいづなごんげん》の広前《ひろまえ》から、大見晴らしを五十丁峠へかかった一つの山駕籠と、それからもう一つは
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