」
がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、この時したり面《がお》に、ポンと自分の膝を打って、欅並木から六所明神の森をながめたものです。果してこのロクでなし[#「ロクでなし」に傍点]の鑑定が当っているかどうかは知らず、当人は、いっぱし睨みの利《き》いたつもりで、武蔵の国の総社六所明神を向うに廻し、一合戦をする覚悟の色を現わして、小鼻をうごめかしながら立ち上る拍子に、どうしたものかよろよろとよろけて、あぶない足を踏み締めると、これはしたり、自分の風合羽《かざがっぱ》の裾がお堂の根太《ねだ》にひっかかっている。
「ちぇっ」
苦《にが》い面《かお》をして、それをはずしにかかって、思わず面の色を変えました。
合羽の裾が何かにひっかかって、それで足をすくわれたものと、いまいましがって外しにかかると、
「おや?」
といって百の面の色が変ったのは、単に出そこなった釘の頭や、材木のそそくれ[#「そそくれ」に傍点]にひっかかったのではない、刀の小柄《こづか》で念入りにピンと、その合羽の裾が根太へ縫いつけられてあったからです。
「誰だい、こりゃあ」
さすがのやくざ[#「やくざ」に傍点]者も、これには少しばかり度肝《どぎも》を抜かれました。自分が有頂天《うちょうてん》になって、六所明神を向うに廻しての策戦を考えているうちに、後ろにいてこういうたちの悪いいたずら[#「いたずら」に傍点]をした奴がある。それをうっかり気がつかずに引張り込まれたなぞは、返す返すもドジだ。昨夜の逃げ出し以来、どうもがんりき[#「がんりき」に傍点]の風向きが悪いと、自分ながら業《ごう》が煮えて、
「誰だい、こんな悪戯《いたずら》をしたのは」
抜き取った小柄を手にして、堂の後ろを見込んで呼びかけてみたが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の心持では、こういう悪戯をする奴はほかにはない、七兵衛の奴が後ろに隠れていてやったのにきまっている、一杯食わされたなという心持で呼んでみたのですが、
「がんりき[#「がんりき」に傍点]」
といって、物騒がずに堂の後ろから姿を現わしたのは、意外にも七兵衛ではありません。形こそ七兵衛に似たような旅人の風はしているが、第一、七兵衛よりは物々しい声であって、全く七兵衛とは別人に相違ないから、ここでもがんりき[#「がんりき」に傍点]の百が見当外れで、
「え……」
「どうだ、がんりき[#
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