何とやらの殿様とは、あんまり桁が違い過ぎるけれど、女軽業の親方と駒井能登守とは、あんまり桁が違わねえのかい」
「まあお前さん、それを知っているの、駒井の殿様を御存じなの」
「ばかにするない、甲州勤番支配の時分から先刻御承知の殿様だ、鉄砲が大層お上手だそうだけれど、女にかけては根っから二本棒の殿様だ、身分違いのロクでもねえ女にひっかかって、あったら家柄を棒に振ってしまった殿様なんだ。どこをどうしたか、それをこのごろお前《めえ》が引っかけて物にしているということが、いつまでがんりき[#「がんりき」に傍点]の耳へ入らずにいると思っているのだ。そりゃ痩せても枯れても、もとは三千石の駒井能登守、お前の腕で絞ったら、まだずいぶん絞り甲斐もあるだろうが、そんな気のいい殿様を、お前のようないかもの[#「いかもの」に傍点]に二度三度絞らせておいちゃ、見ても聞いてもいられねえ、お目にかかって御意見を申し上げようと思っているのだ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]はこう言って歩き出したから、お角も仕方がなしに傘をさしかけて、二人は相合傘の形で柳橋を渡りました。
がんりき[#「がんりき」に傍点]からこう言ってせがまれると、お角も困《こう》じ果ててしまいます。
無論、いいかげんのお座なりでごまかし了《おお》せる相手ではなし、そうかと言って、駒井甚三郎に引合わせようなどは以てのほかです。会わせないと言えば、こだわりをつけるに相違ない。お角も、この男にだけは尻尾を押えられていると見えて、しょうことなしに相合傘《あいあいがさ》で歩き出してはみたものの、橋を渡りきってしまえば甚三郎の宿は近いのですから、先へ進む気になれません。
「行っても仕方がないから帰りましょうよ、小屋へ帰って、ゆっくり話をしようじゃありませんか」
こう言って賺《すか》してみたけれども、無論おいそれと応ずる男ではありません。
そこで二人は、橋の欄干に添うて、押問答をしておりました。
この時、他の一方の橋の袂《たもと》から、また一組の相合傘が現われました。その相合傘は、こちらの相合傘とはだいぶ趣を異《こと》にしています。こちらは蛇の目の傘であるのに、あちらのは買立ての番傘でありました。一本の傘の下に二人の人が、雨を凌《しの》いでやって来るのは同じこと。またその二人が、一方が男であり、一方が女であることも同じだが、あちらの
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