、女もあろうに身分違いの女であったということ、わずかに、その賤《いや》しい女一人のために、あれほどの地位を棒に振って、半生涯を埋《うず》めてしまうような羽目《はめ》に陥っておしまいになったのが情けない。
お家柄なら、御器量なら、男ぶりなら、学問武芸なら、何として一つ不足のないあの殿様は、その上に世にも美しい奥方をお持ちでありながら、その奥方はお美しい上に、やんごとなき公卿様《くげさま》の姫君でいらせられるというお話であるのに、それが、好んで身分違いの女をお愛しなさるということこそ、恋は思案のほかである。えらいお方ほど、女にかけては脆《もろ》いものか知らん。それとも駒井の殿様は、あんなお優しい御様子をしながら、やっぱりいかもの[#「いかもの」に傍点]食いでいらっしゃるのかも知れない。そうして世の常の女では食い足りないで、好んでお角のような女をお求めになるのかも知れない、というようなことまで船宿の夫婦は想像してみましたけれど、まさか、どういう御関係でございますと聞いてみるわけにもゆかず、そのままにしておりました。
お角はまた、どんな心持で駒井甚三郎をしげしげと訪ねるのか知らん。そのしげしげと訪ねるうちにも、お角としては念の入り過ぎたほどに、おめかしをして、乳の下あたりの動悸《どうき》を押えながら、そわそわとして通う素振《そぶり》が、よっぽどおかしいものです。さりとてこの女が、駒井甚三郎に恋をしかける女ではない。また男ぶりに、ぽーうと打込むというような女でもない。だから、しげしげ駒井のところへ通うとしても、露骨に言ってしまえば、駒井の懐ろを当て込んで、その信用を取外《とりはず》すまいと心がけているのでありましょう。
駒井甚三郎は落魄《らくはく》したけれども、まだ大事を為すの準備として、相当の資金がいずれにか蓄えてあるはずである。ことによると、お角が両国橋へ旗揚げの資本も、駒井が所持金の一部を割いて貸し与えたのかも知れない。ただ、転《ころ》んでもただは起きないお角が、駒井甚三郎の男ぶりに打込んで、これに入れ上げようとして通うものではなく、かえって駒井を利用するの意味で御機嫌を伺っているのだということだけは、どちらにもよくわかっているはずです。
お角は蛇の目をさして、柳橋の袂へかかりました。
お角が柳橋の袂まで来ると、頬冠《ほおかぶ》りをして、襟のかかった絆纏《はん
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