りませんか、本当の名は米友さんとおっしゃるのでしょう、内密《ないしょ》のお話があるのですからあけて下さい」
外では存外、落着いた声でこう言いました。よし、ここまで来れば仕方がない、まかり間違ったら二三人は叩き倒して逃げてやろうと米友は、足場と逃げ路を見つくろっておいて、例の手槍を拾い上げ、片手でガラリと雨戸を押し開きました。
「誰だい」
「わたくしでございます」
「お前さん一人か」
「エエ、一人でございます、御免下さいまし」
その女は、男のような風をして、お高祖頭巾《こそずきん》をすっぽりと被《かぶ》っておりました。
いったい、なんにしても人の家へ上るのに、頭巾を取らないで上るというはずはありません。
女は、このまま失礼と断わったものの、座敷へ通っても、やはり頭巾を取ろうとはしないで、
「お前さんが、米友さん?」
こう言って、かなり鷹揚《おうよう》な態度でありました。
「そうだよ」
米友は、極めて無愛想に返事をしました。
「お前さんの噂は、お君から聞いておりました」
お君、お君、と自分の家来でも呼び棄てるように言うのが心外でした。それよりもお君の友達だから、やはり自分も家来筋か何かのように話しかけるのが、米友には心外でした。
「ふん、それがどうしたんだ」
「お前さんは怒りっぽい人だということを聞きました、それでも大へん正直な人だということを聞きました」
「大きなお世話だ」
米友はムッとして口を尖《とが》らしたけれど、女はそれを取合わずに、
「ですから、わたしは、お前さんに尋ねたらわかるだろうと思って来ました、お前さんが知らないはずはないと思って、わざわざこうして尋ねて来ました、ぜひ、わたしに教えて下さい、わたしに隠してはいけません、お前さんがここにいることを突き留めるまでずいぶん骨を折りました、本当のことを言って下さいな」
こう言って、ジリジリと米友に迫るもののようであります。米友は呆《あき》れて、じっとその女の面《かお》を見ようとしました。けれども、いま言う通り面は頭巾で隠してあるのに、わざとその顔を行燈の火影から反《そむ》けようとするのが、どうも面《おもて》を見知られたくないという人のようであります。そうして突然とは言いながら、こうして夜更けに一人でここへ押しかけて来たことは、よほどの突き詰めたものがなければならないような権幕も見られます。落着
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