この近所にいるんだろう、近所にいるんなら近所にいるで、とかく近所に事勿《ことなか》れ……ところが、どうだ、悪いことはできねえもんだなあ、この晒の切れが、ちゃんと流し元に落っこっていたやつを、人もあろうにこの道庵に見つけられちまった」
何か重大な発見でもしたかのように、道庵は息せききって走りつづけているけれども、一向、何を追っているのだかわからない。四辺《あたり》をキョロキョロ見廻したけれども、それらしいものは何者も見えません。
さきに、掻《か》き消すように朝湯を抜け出でた盲目の怪人は、四ツ角に待たしておいた手駕籠に乗って、いずこともなく飛ばせてしまったその後のことであります。
六
下仁田《しもにた》街道から国境を越えて、信州の南佐久へ入った山崎譲と七兵衛は、筑摩川《ちくまがわ》の沿岸を溯《さかのぼ》って、南へ南へと走りつづけます。この二人の行手は説明を加えるまでもなく、南条、五十嵐らの浪士のあとを追って行くものであります。しかしてまた南条、五十嵐らの浪士は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百をところの案内として、甲府城をめざして進んで行ったことも明らかであります。彼等は、甲府の城を拠点として、容易ならぬ陰謀を企《くわだ》てんとしていることも明らかであります。
それを察した山崎らは、事の発せざるうちに、その巣窟を覆《くつがえ》してしまわなければならぬ――蓋《けだ》し、南条、五十嵐らは強力《ごうりき》に身をやつして都合五人で、この山道へ分け入ったけれども、必ず何れかに根拠地があって、そこでひとたび合図をすれば、なお幾多の同志が続々と集まって来ることにはなっているだろう。また山崎こそは単身で、あとを追いかけたようなものだが、甲府の地へ足を踏み入れた時は、勤番の武士は一呼《いっこ》して皆、その味方になるべきはずである。
しかしながら、どう間違ったものか山崎と七兵衛との二人は、ついに南条、五十嵐らの一行を突き留めることができないで、甲府の城下に着いてしまいました。山崎も七兵衛も、その用心にかけては優劣のない方ですから、同じ道を通ったならば、彼等に出し抜かれるはずはない。道を違えたものか、或いは横道をして外《そ》らしたものか、それはとにかく、早く甲府の城下へ到着することが先手である、と思ったから二人は、無二無三に甲府の城下へ到着しました。
城
前へ
次へ
全111ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング