、お前という人は、やっぱり夢じゃねえのか、女のくせに、たった一人でこの夜中に、どういう由《よし》があって、あの人を尋ねて来たんだ、昼間は訪ねて来られねえのか、そうして話をするに、どうしてその頭巾が取れねえのだ」
 こう言って怒鳴りました。
「米友さん」
 女は存外、優しい声でありますけれども、米友の耳には、頭巾の外《はず》れから、チラと見た夜叉《やしゃ》のような面《おもて》が眼について、その優しい声が優しく響きません。
「米友さん……お前はお君のことを知っているだろう、わたしの身の上が知りたければ後で、あの子によく聞いてごらん、わたしがこうして頭巾を被っているわけも、あの子がよく知っていますから聞いてごらん、お君は美しい子だけれども、わたしは美しい人ではありませんから……」
「そんなことは、おいらの知ったことじゃねえ、美しかろうと美しくあるめえと、頭巾を被って人に挨拶するのは礼儀じゃねえ」
「ああ、わたしはここへ礼儀を習いに来たのじゃありません、米友さん、わたしは、お前さんに礼儀作法を教えていただくためにここへ来たのじゃありません、ぜひ聞かしてもらわねばならぬことはほかにあります、お前でなければ知った人がないから、それで、わざわざ忍んでこの夜更けに訪ねて来ました、きっとお礼はしますから、御恩に着ますから、後生《ごしょう》ですから教えて下さい。お前の知っているお君は美しい子だから、誰にでも可愛がられます、わたしは、そうはゆきません、わたしを可愛がってくれたのは、あの幸内と、それから目の見えない人が、わたしは好きなのです、目の見える人は、わたしは嫌いです、目の見えない人がわたしは好きで好きでたまりません、米友さん、後生だからその人のところを教えて下さい」
 女は物狂わしいようになって、泣き出してしまいました。本《もと》もうら[#「うら」に傍点]も知ることのできない米友は呆気《あっけ》に取られて、得意の啖呵《たんか》を切って突き放すこともできません。それのみならず、この突然な、無躾《ぶしつけ》な来客の、人に迫るような言いぶりのうちに、なんだか、哀れな、いじらしいものがあるような心持に打たれて、米友は憤《おこ》っていいのだか、同情していいのだか、自分ながらわからない心持で、眼を円くしているほかはないのであります。
「おいらには、わからねえ」
 米友は無意味にこう言って、首を
前へ 次へ
全111ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング