じゃありませんか。身につけた大切なものを、わだつみの神様に捧げると、それで難船がのがれるというじゃありませんか。もし、そういうことになったら、私共あ、私共あ……」
 その時に、甲板の上、ここから言えば天井の一角から、不意に強盗《がんどう》が一つ、この船室へつりさげられて来ました。それは鉄の輪を以て幾重にもからげて、どっちへ転んでも、壊れもしなければ油もこぼれないように工夫してある強盗が、天井の一角から下って来ると、その光を真下に浴びていたお角の姿がありありと浮き出して、二十余人の他の乗合は、影法師のように真黒くうつッて見えます。
「風が変った、丑寅《うしとら》が戌亥《いぬい》に変ったぞ、気をつけろやーい」
 船の上では船員が、挙げてこの恐ろしい突発的の暴風雨と戦っています。こう言って悲痛な叫びを立てた船頭の声は、山のような高波の下から聞えました。
 水主《かこ》も楫取《かじとり》もその高波の下を潜って、こけつ転《まろ》びつ、船の上をかけめぐっていたのが、この時分には、もう疲れきって、帆綱にとりついたり、荷の蔭に突伏《つっぷ》したりして、働く気力がなくなっていました。事実、もう、積荷を保
前へ 次へ
全206ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング