せになるのは運ですからね、なにもあの晩に限って燈火《あかり》が消えて、それがために助けらるべき船が助けられず、救わるべき人が救われなかったといって、誰も弁信さんを恨むわけのものじゃありません、それでは、あんまり取越し苦労というものが過ぎますね」
「いいえ、いいえ、善い心がけでしたことが、悪いめぐり合せになるということは、決してあるものではございません、それが悪いめぐり合せになるのは、徳が足りないからでございます、業が尽きないからでございます」
「そりゃいけませんよ、善いことをすれば、善いめぐり合せになるときまったものじゃなし、かえって善いことをして、悪いめぐり合せになる例《ためし》が世間にはザラにあることなんだから、弁信さん、そんなに取越し苦労をしないで、山へお帰りなさいまし」
「いいえ、そうじゃないのです、善い人の点《つ》けた火は、消そうと思っても消えるものじゃございません。御承知でございましょうが、天竺《てんじく》の阿闍世王《あじゃせおう》が、百斛《ひゃっこく》の油を焚いて釈尊を供養《くよう》致しました時、それを見た貧しい婆さんは、二銭だけ油を買って釈尊に供養を致しました、貧しい婆さんの心は善かったものでございますから、阿闍世王の供えた百斛の油が燃え尽きてしまっても、貧しい婆さんの二銭の油は、決して消えは致しませんでした、消えないのみならず、いよいよ光を増しました、暁方《あけがた》になって目連尊者《もくれんそんじゃ》が、それを消しにおいでになって、三たび消しましたけれど、消えませんでございました、袈裟を挙げて煽《あお》ぐとその燈明の光が、いよいよ明るくなったと申すことでございます。それほどの功徳《くどく》も心一つでございますのに、それに、わたしがああやって心願を立てて、毎晩毎晩点けにあがる高燈籠が、あの晩に限って消えてしまったというのは因果でございます、業でございます、わたしの徳が足りないんでございます。徳の足りないものが、業《ごう》の尽きない身を以てお山を汚していることは、お山に対しても恐れ多いし……わたし自らの冥利のほども怖ろしうございますから、それでわたしは、お山をお暇乞《いとまご》いを致しました、皆様がいろいろにおっしゃって下さいましたけれども、わたしは自分の罪が怖ろしくて、お山に留まってはおられませんでございます。皆様お大切に、これでお別れを致します…
前へ
次へ
全103ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング