言わずと知れた妙義の裏山から信州へ出て、山通しを甲府へ乗り込む手順に違いない。それからお前の兄弟分だとかお弟子だとかいう、そのがんりき[#「がんりき」に傍点]とやらが甲州者で道案内だと聞いて、いよいよそれを確めてしまったのだ。あいつらの携えている荷物というのは、水戸の武田耕雲斎が幕府から借りた三万両のうち、二万両がそっくりあるはずだ、それがあいつらの事を挙げる軍用金になるのは知れたことだ。ことによると、山通しをいよいよ甲府へ出るまでには、仲間の奴等がどこから出て来るか知れたものじゃない。まあしかし、落着くところは甲府ときまっているんだから、追蒐《おいか》けるにも、そう急ぐことはないや、あいつらに気取られるとかえってことが面倒になるから、気をつけて案内してくれよ」
それを聞いて七兵衛が、しきりに感心して、
「なるほど、そりゃちっと、こちとらのやる仕事より大きいや、甲府の城を乗取って、お膝元を横目に見ながら、天下をひっくり返そうというんだから、出来ても出来なくっても、仕掛けが小さくはございませんな。よろしうございます、向うがその了見《りょうけん》なら、こっちもそのつもりで、先生の御用をつとめてつとめて、ぶちこわし役に廻るのも面白うございますね、ずいぶんやりましょう」
十三
相生町の老女の家の一間で、行燈《あんどん》の下《もと》に、お松は兵馬の着物を畳んでおりました。
いつも元気で快活なお松が、このごろ、しおれているのが眼に立つほどで、今も着物を畳みながら、眼にいっぱいの涙をたたえております。
今日も兵馬の留守中、用ありげに来た二人の客があります。その一人は、甲府からついて来たあのいやらしい金助という男で、あれがこの間、兵馬をはじめて吉原へ連れて行った男であります。あの男が来るたびに兵馬さんは落着かなくなって、その都度《つど》、お金の心配をなさるような御様子がありありとわかるのである。夜更けになってお帰りなさることもあるし、また、どうかすると一晩泊ってお帰りになることもあるが、そのお帰りになった後のお面《かお》の色は、打沈んで、太息《といき》をついておいでなさるのが、今までの兵馬さんとはまるっきり違う。
もう一人の来客は、たしか刀屋であると言っていたが、もしや兵馬さんが御所持の腰の物を、あの刀屋にお払い下げになるつもりではあるまいか……そん
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