いの金があったそうだよ。そうでなきゃお前、あれだけの仕事ができるものかな、やに[#「やに」に傍点]っこい大名じゃあトテモ高島の真似はできねえね。それだからお前、とうとう謀叛人《むほんにん》と見られちゃったのさ。あれでお前、ほんとに謀叛する気であって御覧《ごろう》じろ、大塩平八郎なんぞより、ズット大仕掛けのことができるんだね。だからお上でも怖くって仕方がねえ、とうとう謀叛人にされちゃってね、牢へまでぶち込まれて晩年は不遇といったようなわけさ。しかしまあ、あの男なんぞはなんにしても近世の人物さ」
 道庵先生は友達気取りで高島四郎太夫の話を始めながら、懐中から取り出したのは千住の紙煙草入の安物であります。
「いや皆さん、これだこれだ、これはその八十文で買った拙者の安煙草入でげすがね……」
 また始まった。高島四郎太夫を友達扱いはよかったけれども、安煙草入を満座の中へさらけ出して、八十文の値段までブチまけるから、それでお里が知れてしまいます。
「この煙草入について四郎太夫を憶《おも》い起すんでございますよ、まあお聞きなさいまし、拙者が若い時分、四郎太夫に奢《おご》らせて、友人両三輩と共に深川に遊んだと思召《おぼしめ》せ、その席へ幇間《ほうかん》が一人やって来て言うことには、ただいま拙《せつ》は、途中で結構なお煙草入の落ちていたのを見て参りました、金唐革《きんからかわ》で珊瑚珠《さんごじゅ》の|緒〆《おじめ》、ちょっと見たところが百両|下《した》のお煙草入ではございません……てなことを言うと、それを聞いた高島が吃驚《びっくり》して腰のまわりを探った様子であったが、やがて赤い面《かお》をして腰から自分の煙草入を抜き取ってね、中の煙草を出して丁寧にハタいて、それを幇間の前へ置いたものさ。幇間が吃驚して、そんなわけじゃございません、旦那様をかついだわけではございません、なんて言いわけをするのを、高島が言うことには、なにもお前らにかつがれたところが恥と思うおれではない、ただ煙草入を落したものがあると聞いて、自分の腰を撫でてみたおれの心が恥かしいと言ったものさね。それで幇間にその煙草入をくれてしまった、それが薄色珊瑚の緒〆に古渡《こわた》りの金唐革というわけだ。その後はこの通り八十文の千住の紙の安煙草入、おれの持っているこれと同じやつ、これよりほかにあの男は持たなかったはずだ。だからおれはこの煙草入を見ると、高島の野郎が懐しくってたまらねえ。そりゃ高島が二十代の時分のことでしたよ……どういうわけでお前、おれが高島とそんなに懇意であるかと言ったところでお前、あれも今いう通り長崎の生れなんだろう、それにお前、医者の方であの男は打捨《うっちゃ》っておけねえ男なんだよ、今でこそ種疱瘡《うえぼうそう》といって誰もそんなに珍らしがらねえが、あれを和蘭《オランダ》から聞いて、日本でためしてみたのは、高島が初めだろうよ。そんなわけで、あの男は金があった上に、おれよりも少し頭がいいから世間から騒がれるようになったのさ。拙者なんぞも、このうえ金があって頭がよくって御覧《ごろう》じろ、じきに謀叛を起して日本の国をひっくり返してしまう、そうなると事が穏かでねえから、こうしてみんなにばかにされながら貧乏しているのさ、つまり人助けのために貧乏しているようなわけさ」
 道庵がこんなことを言って、一座をにがにがしく思わせているうちに、やはり高島秋帆のことが話題になって、次に江川太郎左衛門のこと、それから砲術の門下のことにまで及んでついに、
「時に、あの駒井甚三郎は……」
と言う者がありました。
「なるほど、駒井能登守殿、その後は一向お沙汰を聞かぬ」
「左様、駒井氏」
「駒井甚三郎か、なるほどな」
「甲府から帰って以来、さっぱり消息《たより》を知らせぬ、あの駒井能登守……」
と言って、一座は駒井能登守の噂になりました。これらの連中は能登守が、何によって躓《つまず》いたかをよく知らないものと見えます。よし内々は聞くところがあっても、公開の席へは遠慮をしているらしく見えます。
「不思議なこともあればあるもので、拙者この間、意外なところで駒井殿らしい人を見かけ申したよ」
 これは道庵先生の隣席にいた、遠藤良助という旗本の隠居でありました。
「遠藤殿には駒井甚三郎を見かけたと申されますか、していずれのところで」
 しかるべき大身の隠居らしいのが、遠藤に向って尋ねました。
「実はな、先日、手前は舟を※[#「にんべん+就」、第3水準1−14−40]《やと》うて芝浦へ投網《とあみ》に参りましてな、その帰り途でござった、浜御殿に近いところで、見慣れぬ西洋型のバッテーラが石川島の方へ波を切って行く、手前の舟がそれと擦《す》り違いざま、なにげなくバッテーラのうちを見ますとな、笠を被って羅紗《らしゃ》の筒袖を着て、手に巻尺と分銅《ふんどう》のようなものを持って舳先《へさき》に立っていた人、それがどうも駒井甚三郎殿としか見えないのでござった。手前も一目見ただけで、言葉をかけたわけではなし、しかとしたことは申し上げられんが、今でもあれは駒井甚三郎に相違ないと思うていますな」
「なるほど、バッテーラに乗って、海を測量する、駒井のやりそうな仕事じゃ。ことによるとあの辺に隠れて、何か海軍の仕事をしているのではないか」
「なんにしても、あれが生きておれば結構、あれだけの人材を、今むざむざ葬るのはまことに惜しいものじゃ」
「いったい、駒井が甲州を罷《や》めたのは、神尾主膳との間が面白くないためか、それともほかに何か仔細があってか」
「駒井としては神尾なぞは眼中にあるまい、主膳と勢力争いでもしたように見られては、駒井がかわいそうじゃ」
 旗本の隠居や諸士の間に、駒井の噂がようやく問題になっていたけれど、道庵先生は能登守のことをあまりよく知りませんから、八十文の千住の安煙草入から煙草を出してふかしていました。
 この遠藤良助という旗本の隠居は投網が好きで、上手で、かつ自慢でありました。駒井の噂がいいかげんのところで消えると、それから魚の話にまでうつって行きました。遠藤老人は、人からそそのかされて、得意の投網の話をはじめると、いずれも謹聴しました。
 道庵先生は、そんなことにさまで興を催さないから、思わず大欠伸《おおあくび》をすると遠藤老人は、道庵先生の席を顧みて、
「これはこれは、道庵先生、久しくお見えなさらんな、相変らずお盛んで結構、ちとやって来給え」
「遠藤の御隠居、暫くでございましたな、相変らず投網の御自慢、さいぜんから面白く拝聴しておりますよ、実は拙者もあの方は大好きで、ついお話に聴き惚れて、夢中になって大欠伸をしてしまいましたよ」
「は、は、は、しかしまあお世辞にも先生が、我が党の士であってくれるのは嬉しい」
「ところが、拙者は投網の方はあんまり得手《えて》ではございませんよ、その代り釣りと来たら、御隠居の前だが、おそらく当今では稀人《まれびと》の部でござんしょうな」
「ははあ、先生、釣りをおやんなさるか、ついぞ聞きそれ申したがそれは頼もしいこと」
「君子は釣《ちょう》して網《もう》せずでございますな、いったん釣りの細かいところの趣味を味わった者には、御隠居の前だが、網なんぞは大味《おおあじ》で食べられません」
「なるほど、それも一理」
「拙者はまた天性、釣り上手に出来てるんでございますよ、拙者が綸《いと》を垂れると魚類が争って集まって参り、ぜひ道庵さんに釣られたい、わたしが先に釣られるんだから、お前さん傍《わき》へ寄っておいでというような具合で、魚の方から釣られに来るんでございますから感心なものです」
「そりゃそうあるべきもの、不発《ふはつ》の中《ちゅう》といって、釣りにもせよ、網にもせよ、好きの道に至ると迎えずして獲物《えもの》が到るものじゃ」
「全くその通りでございます、だから世間の釣られに行く奴が、馬鹿に見えてたまらねえんでございます」
「そこまで至ると貴殿もなかなか話せる、ぜひ一夕《いっせき》、芝浦あたりへ舟を同じうして、お伴《とも》を致したいものでござる」
「結構、大賛成でございます、ぜひお伴を致しましょう」
「しからばそのうちと言わず、今夕、この会が済み次第、舟を命ずることに致そう、おさしつかえはござらぬか」
「エ、今夕、今日でございますか。差支えはねえようなものだが……」
 道庵先生はハタと当惑しました。実は先生、行きがかり上、釣りが上手であるようなことを言ってしまったけれども、釣竿の持ち方も怪しいものです。けれどもことここに至ると、今更後ろは見せられない羽目になってしまいました。遠藤老人は、ワザと道庵先生を困らせるつもりかどうか知らないが、先生を断わり切れないように仕向けておいて、女中を呼んで漁の用意をすっかり命じてしまいました。
 こうなると道庵もまた、痩意地を張らないわけにはゆきません。血の出るような声をして、
「ようガス、芝浦であろうと、上総房州《かずさぼうしゅう》であろうと、どこへでも行きましょう、拙者も男だ」
 道庵先生はよけいな口を利《き》いたために、この会が果ててから、遠藤老人に誘われて芝浦へ出漁せねばならぬことになりました。
 道庵を誘い出した遠藤老人は、船頭を雇い、家来をつれて、浜御殿の沖あたりまで舟を漕がせ、得意の投網を試みて腕の冴《さ》えたところを見せました。
 道庵はもとより口ほどのことはなかったけれども、まんざら心得がないでもないらしく、ちょいちょい二三寸ぐらいのところを引っかけては鼻をうごめかせて、その度毎に天地をうごかすような自慢であります。遠藤老人はもとより道庵に口ほどのことは期待していないし、やがて竿で水を掻《か》き廻すようなことになったら、ミッチリ油を取ってやろうと構えていたものを、海の中にはかなり暢気《のんき》な魚もあると見えて、たとえ一匹でも二匹でも、道庵の針にかかるようなものがあるから、その自慢を聞かせられても苦笑いしているばかりです。
 それでもこの一夕はかなり暢気な気分になって、また万八へ帰り、そこで道庵と別れて亀沢町の隠宅へ帰ったのは、夜もかなり更けていました。
 この人は旗本の隠居でも、そんなに大身ではありません。三百石ほどの家督を倅《せがれ》に譲って隠居の身だけれども、若い時分から家の経済が上手でありました。それ故に、今の身分になっても裕福であります。
 こんなに夜が更けて帰っても寝る前に、ちゃんとその日の算盤《そろばん》を置いてみなければ寝られない癖がありました。他《よそ》へ廻して貸付けさせた金の利廻りや、地面家作の取立てや、知行所の上り高というようなことを、倅に代っていちいち算当して、帳面を記しておかねば寝られない癖です。当時、大名にも旗本にも、内緒《ないしょう》の苦しいのが多く、うわべは大身に構えても、町人に借金があって首が廻らなかったり、また札差《ふださし》をさんざん強請《ゆす》るようなことが、少なくとも己《おの》れの家に限ってはその憂いのないことと、利が利を産んで行く未来の算をしてみると、いつも一種の得意に満たされて、言わん方なき快感を催すのでありました。その快感に浸《ひた》されながら、枕について夢を結ぶのが十年一日の如く、この老人の習慣でありました。
 そうかと言って、この老人は吝嗇《けち》と罵《ののし》られるほどに汚い貯め方をするのでもありません。相当のことだけはして、誰にもそんなに見縊《みくび》られもせずに伸ばして行くところは、なかなか上手なものです。今も老人はその算当をしてしまって、幾片《いくひら》かの金を封じにかかると、その窓の下でバタバタと人の走る音がしました。
「はて、今時分」
と封じ金をこしらえる手を休めて老人が小首を傾《かし》げました。老人もかなり夜が更け渡っていることは知っているし、またこの時分は江戸市中がどことなく物騒で、夜更けなんぞは滅多にひとり歩きをするものもないことなぞは心得ているのであります。それを今、窓下でバタバタと人の足音がするから変に思いました。
「あれー、助けてエ」
 絹を裂
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