で出かけた男がありました。それは縞《しま》の着物を着て、縮緬《ちりめん》の三尺帯かなにかを、ちょっと気取って尻のあたりへ締めて、兵馬の前を千鳥足で歩きながら鼻唄をうたい出しました。
 それを後ろから兵馬が見ると、なんとなく見たことのあるような男だ、鼻唄の声までが聞いたことのあるように思われてならぬ。
「はッ、はッ、はッ、何が幸《せえわ》いになるものだかわからねえ、また何が間違えになるものだかわからねえ、人間万事|塞翁《さいおう》が馬よ、馬には乗ってみろ、人には添ってみろだ」
 その途端に、兵馬はようやく感づきました。これはいつぞや竜王へ行く時、畑の中の木の上で、犬に逐《お》いかけられて狼狽《ろうばい》していた男。
 その男の名前も金助と呼ぶことまで兵馬は覚えていました。この男を捉まえてみると面白かろう。
「金助どの」
「おや、どなたでございます」
 振返って金助は、怪しい眼を闇の中に光らせました。
「拙者《わし》じゃ」
 兵馬が、わざと名乗らないでなれなれしく傍へ寄ると、
「ああ、鈴木様の御次男様でございましたね、徽典館へおいでになるのでございますか、たいそう御勉強でございますね、お若
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