の眼には、一人の殿様とやらが歩くのに、二百人も三百人も大の男がそのまわりにくっついて歩かねばならぬことの理由《わけ》がわからないのであります。その上に、こうしてせっかく市民が面白く見物をしたり、遊楽をしたりしている最中を、大手を振って押通り、押しが利かないと、この通り乱暴狼藉を働いて突破する、その我儘が通ることの理由もわからないのであります。それのみならず、この我儘と乱暴狼藉とを加えられながら、平生は人混みで足を踏まれてさえも命がけで争うほどの弥次馬が、意気地なくも、それお通りだ、鍋島様だ、三十五万石だ、池田様だ、三十一万石だと言って、恐れ入ってしまうことが分らないのであります。
しるこ[#「しるこ」に傍点]の鍋を覆《くつがえ》されて、面《かお》や小鬢《こびん》に夥《おびただ》しく火傷《やけど》をしながら苦しみ悶えている光景を見た時に、米友の堪忍袋《かんにんぶくろ》が一時に張り切れました。
「ばかにしてやがら」
梯子の上から一足に飛び下りました。飛び下りると共に、人の頭を渡って行って、拳を固めて手当りの近いところの侍の頭を、続けざまに三ツばかりガンと撲《なぐ》りました。
「手向いするか、無礼者」
その侍が胆をつぶした時分には、米友はつづいて二人三人目ぐらいの侍の頭を片っ端から、ポカポカと撲って歩きました。その挙動の敏捷なこと。
アッというまに、ものの十人も、つづけてお供先の侍を撲った時に、この大大名の行列は、
「狼藉者《ろうぜきもの》、お供先を要撃する賊がある」
ときいた時は、米友の姿はもう見えません。
水瓜《すいか》を並べて置いて、そのなかをみつくろって撲ったつもりで米友は、少しばかり溜飲《りゅういん》を下げて、行列の崩れたのを後ろに、今度は群衆の足許を潜《くぐ》って元のところへ走り込むと、その梯子《はしご》を横にして肩にかけ、銭受けの笊《ざる》を腰に差し、
「ざまあ見やがれ」
と言って、一散にその場を走《は》せ出しました。
「あれだ、あれだ、あれが行列へ無礼を加えた奴だ、狼藉者を取押えろ」
後ろから米友を、追いかけて来るものがあるようです。
「どっちが無礼で、どっちが狼藉なんだ、取押えろも出来がいいや」
米友はせせら笑いながら、それでも取押えられては詰らないと思って一散に逃げました。弥次馬というものは変なもので、今、鍋島様やら池田様やらのお通りへ無
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