お通りだ」
東橋《あずまばし》の方から一隊の大名の行列が、こっちへ向いてやって来るのであります。
「それ、お通りだ、お通りだ」
と言って、早く気のついたものはどよめきましたけれども、前の方に、米友の梯子芸に見惚《みと》れていた者は気がつきませんでした。
通りかかったのは、大名のうちでも大きな大名の行列らしくあります。お供揃いはおよそ三百人もあると見受けられます。御駕籠脇は黒蝋《くろろう》の大小さした揃いの侍が高端折《たかはしおり》に福草履《ふくぞうり》と、九尺おきに提《さ》げたお小人《こびと》の箱提灯が両側五六十、鬼灯《ほおずき》を棒へさしたように、一寸一分の上《あが》り下《さが》りもなく、粛々として練って来ました。
この大名行列のためにあわてて道をよけた人は、遠くの方からいろいろと噂をはじめる。
「御定紋《ごじょうもん》は、たしかに抱茗荷《だきみょうが》のようでございましたね、抱茗荷ならば鍋島様でございます、佐賀の鍋島様、三十五万七千石の鍋島様のお通りだ」
と言う者がありました。
「いいえ、抱茗荷じゃござんせん、たしかに揚羽《あげは》の蝶でございました、揚羽の蝶だから私は、これは備前岡山で三十一万五千二百石、池田信濃守様の御同勢だと、こう思うんでございます」
一方からはこんな申立てをするものがある。
「ナニ、そうではござんせん、たしかに抱茗荷、肥前の佐賀で、三十五万七千石、鍋島様の御人数に違いはございません」
「いいえ、揚羽でございましたよ、備前の岡山で、三十一万五千二百石……」
今までそれとは気がつかないでいて、不意にこの同勢を引受けた人、ことに屋台店の商人《あきんど》などは、狼狽して避《よ》けるところを失う有様でありました。この場合に邪魔になるのは、米友を中心として、梯子芸に夢中になっている見物の一かたまりであります。
「叱《しっ》!」
先棒が叱ってみたけれど、その一かたまりを崩すにはかなりの時がかかります。後ろの方は気がついても、前の方は全く知らないのであります。尋常ならば、強《し》いてその一かたまりを崩すことなくして通行にさしつかえないはずであったのを、そのお供先はどういうつもりか、米友を囲んだ一かたまりの中へ突っ込んで来ました。
「おやおや、お通りだ、お通りだ」
はじめて気のついた連中が、驚いて逃げ出したのを、梯子の上で米友は、じっとながめ
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