かねばなりませぬ」
「まあ、吉原へ、あんなところへ、これから?」
と言ってお松も、さすがに呆《あき》れたけれど、兵馬の吉原へ行くという意味は、そんなわけのものでないことを知っています。そうしてともかくも、相当の大金を持って、あの里へ行こうというのには、何か重い用向きのあることを察しないわけにはゆきません。それを自分にうちあけられてみると、どうしてもお松として、兵馬が望むだけの金を拵《こしら》えてやらねば済まない心持になりました。
「どういうわけか存じませんが、あなた様が、今時分、あの里までお出かけにならなければならないのは、定めて大事の御用と存じます、お金のお入用も一層大事のことと思いますから、吉原というようなことや、あなた様のことなんぞは少しも知らないようにして、御老女様から融通を願って参ります、他からお借り申すのと違って、御老女様からお借り申す分には、恥にも外聞にもなりは致しませぬ」
「それが困るのじゃ、吉原へ用向きというのはほかではない、そなたの以前|仕《つか》えていた神尾主膳殿が、あすこにいるということを、たったいま知らせてくれた人がある」
「まあ、神尾の殿様が?」
「知らせて来てくれたものの話には、神尾殿は茶屋から上って大籬《おおまがき》とやらに遊んでいるそうな。そこへ近づくには、自分も、やはり茶屋から案内を受けてその大籬とやらへ、上ってみねばならぬということじゃ。その時の用意は……二三十両の金を用意して行かぬと恥を掻くこともあるとやら。恥を掻くのは厭《いと》わぬとして、万一、それがために時機を失するようなことになっては残念」
「そうでございましたか。そうでございましょうとも。そういう場合ならば、充分の御用意をなすっていらっしゃらなければ、殿方のお面《かお》にかかるようなこともございましょう、よろしうございます、わたしから御老女様にお願い申しますから」
「それは堅くお断わり申す、事情はどうあろうとも、吉原へ行くために金を借りたということが後でわかると、御老女にも面目ない」
「兵馬さん、少しお待ち下さいませ、お手間は取らせませぬ、わたし、よいことを考えつきましたから」
お松はこう言って兵馬を引留めておきながら、廊下をバタバタと駆け込んだところはお君の部屋でありました。
お松はよいところへ気がつきました。お君の部屋へ飛んで行って手短かに、金の融通を頼むとお
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