化物がいるのか知らん。
 主膳は化物と言って、土蔵を見ながら、
「は、は、は」
と笑いました。
「いけません」
 お角は自分の口を袖で押えながら、主膳を叱るように言いました。
「聞えやせぬよ、大丈夫」
「御前が左様なことをおっしゃるのは、お悪うございます」
「もう言わん。しかし、お前が言わせるように仕向けるから、つい口が辷《すべ》ったのじゃ、悪い心持で言ったのではない」
と主膳は申しわけのような前置をつけて、それからこんなことを言いました、
「あれはお前も知っているかどうか知らん、あの実家はすばらしい物持で、田地も金も唸《うな》るほどある、しかもその家の一人娘じゃ。あの娘の実家を説き立てさえすれば、少々の金を引出すのはなんでもないことだ。お前、その気があるなら一番やってみたらどうじゃ、甲府から三里離れた有野村の藤原といえば直ぐわかる、そこへ行って主人の伊太夫に会い、これこれのわけでお嬢様をお連れ申したといえば、それこそ謝礼は望み次第じゃ。もし当人を連れて行くのが面倒ならばお前だけ行って、お嬢様はただいまこれこれのところにおりますると注進さえすればよい……しかしあの娘を帰すと、拙者《おれ》の足許が危なくなる、そこはあらかじめ仕組んでおかないと」
「そんなことはできません、わたしはそれほどに計略をしてまでお金を借りたいとは思いません、よし借りられるものにしましても、もう二度と甲州の山の中なんぞへ、入ってみようという気にはなりませんから」
「いや、甲州の山が宝の山なのじゃ、全く以てあの女の実家というものの富は、測り知ることができないほどじゃ、惜しいものよ、あれをあのまま寝かしておくのは」
「心がらでございますね、いくらおすすめ申しても、お家へお帰りなさるお心持になれないのでございますから」
「家へは帰られないわけもあるが、ああ逆上《のぼせ》ても恐れ入る、悪女の深情けとはよく言ったものじゃ」
「わたしは、あれこそ何かの因縁《いんねん》だと思いますね、ただ惚《ほ》れたとか、腫《は》れたとかいうだけのことではありませんね」
「因縁かも知れん。このごろ、拙者もあの女の面《かお》を見ると、なんだかゾクゾクと怖いような心持になるわい」
「あのお嬢様は、たしかに御前を恨んでおいでになります、御前とお面をお合わせになると、きっと横を向いておしまいになりますけれど、御前のお後ろ姿や、横面《
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