林寺へも暇乞《いとまご》いをして、勝沼の富永屋へ着いた兵馬は、別に一人の伴《とも》をつれていました。その伴というのは、この間まで躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の神尾の古屋敷にいた金助です。してみれば、金助も頼む神尾の殿様なるものはいなくなるし、あの古屋敷も売り物に出るというわけで、甲府|住居《ずまい》も覚束《おぼつか》なくなっていたところへ、兵馬に説かれたものか、兵馬を説きつけたものか、この人の伴となって江戸へ脱け出そうとするものらしくあります。
この俄《にわか》ごしらえの主従が富永屋へ草鞋《わらじ》を脱いだ時分に、富永屋には例のお角もいませんでした。机竜之助もいませんでした。お銀様も、ムク犬もまた姿は見えません。
兵馬は翌朝、宿を出て笹子峠へかかると、金助が、
「これから私も心を入れ替えてずいぶん忠義を尽しますよ、お前様もこれからズンズン御出世をなさいまし。まあ、私が考えるのに、これからは学問でなくちゃいけませんな、お前様は腕前はお出来になって結構でございます、学問の方も御如才はございますまいが、学問も、どうやら今までの四角な学問よりも、横の方へ読んで行く毛唐《けとう》のやつの方が、これから流行《はや》りそうでございますぜ、今、鉄砲にしてみたところが、どうもあっちのやつの方が素敵でございますからね。お前様もこれから学問をおやりになるならば、毛唐のやつの方を精出しておやりなさいませ、あれが当世でございますぜ」
金助は、よくこんな巧者な話をしたがります。そうして高慢面《こうまんがお》に、忠告めいたことを言って納まりたがる人間であります。
「私なんぞは、もう駄目でございます、これでも小さい時分から学問は好きには好きでございました、けれどもほかの道楽も好きには好きでございました、親譲りの財産《しんだい》がこれでも相当にあるにはあったんでございますがね、みんなくだらなく遣《つか》ってしまいましたよ、これと言って取留まりがなく遣ってしまいましたよ、なあに、いま考えても惜しいともなんとも思いませんがね、かなりこれでも遊んだものでございますよ、だから江戸を食いつめて甲州まで渡り歩いているんでございます、江戸へ帰ったら、また病が出るだろうと思ってそれが心配でございますよ、でもまあ、昔と違って今は、まるっきり融通というものが利きませんからね、これで融通が利き出すとずいぶん危ねえもの
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