を打って逃げ惑いました。見れば神尾の門内から多くの侍が、白刃を抜いて切先《きっさき》を揃えて打って出でたところで、その勢いに怖れて穢多非人どもが、一度にドッと逃げ出したもののようでありました。白刃の切先を揃えて切って出でたのは、神尾の家来ばかりではあるまい、この近いところに住んでいる勤番のうちから、加勢が盛んに来たものと見えます。
 穢多のうちには、切られたものも二人や三人ではないらしい。さすがに白刃を見ると彼等は胆《きも》を奪われ、パッと逃げ散ってしまったが、切って出でた侍たちは長追いをせずに、そのまま門の中へ引込んでしまいました。一旦逃げ散った穢多どもは、また一団《ひとかたまり》になったけれども、今度は別に文句も言わずに、門前に斬り倒された数名の手負《ておい》を引担いで、そのままいずこともなく引上げて行く模様であります。
 ともかく、この場の騒動はこれだけで一段落を告げましたけれど、彼等の恨みがこれだけで鎮まるべしとも思えず、神尾の方でもまた、いわゆる穢多非人|風情《ふぜい》から斯様《かよう》な無礼を加えられて、その分に済ましておくべしとも思われないのであります。
 その翌日、聞いてみると、果して昨夜の納まりは容易ならぬことでありました。なんでも、いったん神尾の門前を引上げた彼等の群れは荒川の岸に集まって、手負《ておい》を介抱したり、善後策を講じたりしているところへ、不意に与力同心が押寄せて、片っぱしからピシピシ縄にかけたということであります。縄にかけられないものは、命からがらいずれへか逃げ散ってしまったということであります。
 それだけの評判が長禅寺の境内までも聞えたから兵馬は、また急いで例の姿をして町の中へ立ち出でました。
 右の風聞のなお一層くわしきことを知ろうとして町へ出てみると、町では三人寄ればこの話であります。それを聞き纏《まと》めてみると、長禅寺で聞いたよりはいっそう惨酷《さんこく》なものでありました。
 神尾の門前を引上げた彼等が集まっていたのは、下飯田村の八幡社のあたりと言うことであったということで、そこへ踏み込まれて、ピシピシと縄をかけられた数は二十人という者もあるし、三十人というものもあり、或いは百人にも余るなんぞと話している者もありました。
 その縄をかけられた者共の処分について、ずいぶん烈しい噂《うわさ》が立っていました。一人残らずその
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