それから、主人側と来客が鹿爪《しかつめ》らしい声、よそゆきの口調を出しておたがいに、おテンタラの交換をするのであります。主人側は、かく朝野の名流の御来場を賜わりましたことは、不肖《ふしょう》身にとって光栄とするところでございます、テナことを言うのであります。そうすると来賓側も負けない気になって、主人が老いてますます壮《さか》んにして海外雄飛の志を遂げんとするは、商業界のみならず、我々後進のために無上の教訓である、テナことを言うのであります。
そのおテンタラの交換が済むと、それから主客が打解けての宴会がはじまります。その宴会の前後には余興が行われました。
余興も例の鬼ケ島の征伐に至ると、もう主客ともに大童《おおわらわ》であります。美人連を鬼に仕立てて、朝野の名流がそれを追蒐《おっか》け廻って、キャッキャッという騒ぎでありました。
さて、この隣家に控えているのがほかならぬ道庵先生であります。これをそのままで置いては、それこそ道庵先生健在なりやと言いたくなるのであります。ところが先生、どうしたものかいっこう振いません。不在でもあるかと思うと、立派に在宅しているのだから、子分のなかでも気の早いデモ倉というのが堪り兼ねて、
「先生、あれでいいですか、長州征伐の兵隊たちは艱苦《かんく》のうちに、引くことも進むこともできねえで困っているのに、あんな泰平楽《たいへいらく》な旅立ちをしていいもんですか、ずいぶんふざけてるじゃございませんか、先生として、あれをあのままにしておけますか」
眼の色を変えて詰め寄せて来ました時に、道庵先生は泰然自若《たいぜんじじゃく》として盃を挙げ、
「まあ、打捨《うっちゃ》っておけ、万事はおれの腹にある」
腹の大きいところを指さしました。けれどもデモ倉には、先生の腹の大きいところを理解するだけの頭がありませんでした。
「先生、いやにすましてるねえ、お腹《なか》がどうかしたんですかい」
南条|力《つとむ》と五十嵐甲子雄《いがらしきねお》の二人は、上方《かみがた》の風雲を聞いて急に江戸を立つことになりました。宇津木兵馬はそれを送って神奈川まで行きました。
神奈川の宿《しゅく》の背後《うしろ》の小高い丘の上で三人は休みました。眼の前には神奈川の沖、横浜の港が展開されています。秋の空は高く晴れ渡っています。
兵馬の眼を驚かしたのは、眼の前の沖
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