目の客を送り出したのは全く道庵の知らないことで、その駕籠|傍《わき》についていた小兵の梯子乗りが知っているだろうとのことです。
 それは近頃、浅草の広小路へ出る梯子乗りの友吉というものであったらしいとのこと。よって兵馬は探りの方針を、この梯子乗りに向けなければならなくなりました。

         十五

 お君は帯をするようになりました。その時にお松が、
「お君さん、おめでとうございます」
と言って祝うと、
「いいえ……」
と言ってまっかな面《かお》をし、
「お松さん、わたしはこの子がやっぱり生れない方が仕合せだと思いますわ」
「何をおっしゃいます、このおめでたい矢先に、そんなことを」
「いいえ、めでたいことではありません、わたしにとっても少しもめでたいことではございませんし、この子にとっても決してめでたいことではございません、この子は父無《ててな》し子《ご》と言われて一生涯、明るいところへは出られませんもの」
「まあ、父無し子……このお子さんは、あのお立派な駒井能登守様とおっしゃる親御様をお持ちではございませぬか」
「いいえ、この子は駒井能登守の子ではございませぬ、わたくしの子でございます、それ故にわたくしは、どのようなことがあっても能登守の子としては育てません、わたくしの子として育てて参ります。それよりか、わたくしはいっそ難産で、この子と一緒に死んでしまえば、それに越したことはないと思っているのでございますよ」
「まあ、聞いてさえゾッとします、わたしはそんなことを聞きたくはありません、もっと面白い話をしましょうよ」
 お松は力一杯に、お君を慰めようとします。
 お君は何を考えたかハラハラと涙をおとしていたが、ふらふらと立ち上りました。
「お君さん、どこへいらっしゃるの」
「はい、わたしは、間《あい》の山《やま》へ」
 その瞳《ひとみ》の色が定まっておりませんから、お松は怖ろしいほど心配になって、
「まあ、お話がありますから、お坐りなさいませ」
 強《し》いてお君の袖を引いて引留めました。
 それからお松は、お君のために心配のあまり、神田の和泉町《いずみちょう》の能勢様《のせさま》というのへ参詣をすることになりました。
 和泉町の能勢様というのは、四千八百石の旗本で、そのお屋敷のうちにお稲荷様があって、そのお稲荷様から能勢の黒札というお札が出る。お札の表には正
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