したが、その眼には涙がいっぱいであります。
「ともかくも」
と言って兵馬は、その二品を前へ出したきりで腕を組んでいました。兵馬の胸にも実は、思い余ることがあるのであります。
「宇津木様、どうぞ殿様のお言葉をお聞かせ下さりませ、縁を諦《あきら》めよと、それが殿様のお言葉でござりましたか」
「能登守殿は、そうはおっしゃらぬ。そうはおっしゃらぬけれど」
「わたくしが殿様から前のようなお情けをいただきたいために、こうして恥を忍んで上りましたものか、どうか、それを御存じないあなた様が恨《うら》めしい」
「それは拙者にもわかっているし、能登守殿も御諒解であるが……」
「それならば、お言葉をお聞かせ下さりませ。わたくしは賤《いや》しいものでござりまするけれど、殿様のお家には二つとないまことのお血筋……そのお血筋がおいとしいために恥を忍んで上りました、殿様のお言葉一つによって、わたくしはこの場で死にまする」
「またしても短気なことを……」
「いいえ、短気なことではありませぬ、わたくしの小さい胸で、考えて考え抜いた覚悟の上でござりまする。殿様のお言葉次第によって、わたくしもこの世にはおられませぬ、恐れ多
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