口で噛み砕かれていました。
「こん畜生、嚇《おどか》しやがる、こいつはなかなか一筋縄じゃあ行かねえ」
 犬殺しは胸を撫でながら、再びムク犬の傍へ寄って来ました。俄然として醒《さ》めたムク犬の勇猛ぶりは、確かにこの犬殺しどもの胆《たん》を奪うに充分でありました。けれどもその繋がれている巨大なる松の樹と、それに絡《から》まっている二重三重の鎖は、また彼等を安心させるに充分であります。
「いけねえ、いくら弱りきった畜生だからと言って、突然《だしぬけ》に棒を出せば怒るのはあたりまえだあな、犬も歩けば棒に当るというのはそれだあな、棒なんぞを出さねえで、もっと素直《すなお》にだましてかからなけりゃあ、畜生だって思うようにはならねえのさ」
 犬殺しどもは、何か不得要領なことをブツブツ言って立戻って来て、さきに卸して置いた籠を提げて、またムク犬の傍へ近寄り、
「どうだろう、まあ、この堅い棒を簓《ささら》のようにしやがったぜ、恐ろしい歯の力だ、死物狂いとは言いながら、まだこんなに恐ろしい歯を持った畜生を見たことがねえ、なるほど、これじゃあ殿様がもてあまして、鎖で繋いでお置きなさるがものはあらあ。さあ、こん畜生、今度は棒じゃあねえぞ、御馳走をしてやるんだぞ、それ、これを食え」
 籠の中から取り出したのは竹の皮包の握飯《むすび》でありました。これはこの者どもの弁当ではなくて、犬を懐《なつ》けるために、ワザワザ用意して持って来たものらしくあります。
「さあさあ、樫《かし》の棒なんぞをがりがりと噛んでいたって仕方がねえ、これを食って温和《おとな》しくしろ、そのうちに痛くねえように皮を剥《む》いてやるから。殿様に頼まれたんだから、おれたちも晴れの仕事なんだ、あんまり騒がねえように剥《は》がしてくれろよ」
 こう言って投げてやった握飯が、鼻の先まで転がって来たけれども、ムク犬はそれを一目見たきりで、口をつけようともしませんでした。
「おやおや、こん畜生、行儀がよくていやがらあ、こんなに痩《や》せっこけて餓《かつ》えているくせに」
 二人の犬殺しは、拍子抜けのしたように立っています。

 神尾主膳はこの頃、躑躅ケ崎の下屋敷へ知人を集めて、一つの変った催しをすることにきめました。それは或る時、神尾が二三の人と話のついでに、こんなことが問題になりました、
「精力の強い動物は、極めて巧妙にやりさえすれば、皮を剥がれても生きている、生きていて、皮を剥がれたなりの姿で歩くこともできるものだ」
と主張する者がありました。
「そんなばかなことがあるものか、いくら強い動物だからと言って、全身の生皮《なまかわ》を剥がれて、それで生きていられるはずがあるものか、ましてそれで歩ける道理があるものか、途方もないことを言わぬものだ」
と反駁《はんばく》する者もありました。
「それがあるから不思議だ、まず古いところでは、古事記にある因幡《いなば》の白兎の例を見給え」
と言って主張するものは、大国主神《おおくにぬしのかみ》が鰐《わに》に皮を剥がれた兎を助けた話から、
「それは神代《かみよ》のことで何とも保証はできないが、近くこれこれのところで、猫の生皮を剥いでそれが歩き出した、犬を剥いて試してみたところが、それも見事に歩いたということを、確かな人から聞いた」
というような実例をまことしやかに弁じ立てました。反駁する者は、決してそんなことはあるべきはずのものではないと言い、主張するものはいよいよそれが事実あり得ることで、たとえば居合《いあい》の上手が切れば、切られた人が、切られたことを知らないで歩いていたという実例や、八丁念仏の謂《いわ》れなどを幾つも説いて、それは要するに剥《む》いてみる動物の精力の強弱のみではなく、その皮を剥ぐものの手練と、刃物の利鈍によるというようなことを述べて、決してあいくだりませんでした。
 しかし、これは両方とも、根拠があるようでない議論でありました。なぜといえば主張する者も、書物や又聞《またぎき》を証拠として主張するのであるし、反駁するものも、常識上そんなことが有り得べきものではないという点から反駁するのでありますから、ドチラもこの事実を、目《ま》のあたり見たものの口から出る議論ではありません。
 それを聞いていた神尾主膳は、興味あることに思いました。なるほど常識を以て考うれば、虎や狼にしたところで、皮を剥がれて生きて歩けようとは思い設けられぬこと、しかし主張するものの論から考えると、常識以上の不思議が必ずしもないこととは思われないのであります。そこで神尾主膳は、
「それは近ごろ面白いお話だ、拙者も承っていると、ドチラのお申し分にも、道理がありそうでもあり、ないようでもある、それというのはいずれも、その御実験をごらんなさらぬからのことじゃ、それではいつまで経っ
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