にて府下の騒擾も稍《やや》鎮静に及びたり」
[#ここで字下げ終わり]
 幸いにしてこの貧窮組は、それだけの騒ぎで鎮まりました。大塩平八郎も出ないし、レニン、トロツキーも出ないで納まりました。たまたま道庵先生あたりが飛び出して、お茶番を差加えたようなことで、ともかくも納まったのは国家のために大慶至極と申すべきです。
 表面、この騒ぎは納まったけれども、それの根本が絶たれたというわけではありません。一時は震え上った富豪たちが、あわてふためいて貧民の御機嫌を取ってみたけれど、表面の暴動が過ぎ去ってしまえば、あとはケロリとして忘れたもののように、書画骨董にばかげた金を出したり、ふざけきった集まりをして見せたり、無用の建築をして見せたり、そんなことで以前よりは一層の太平楽《たいへいらく》を、露骨に見せるようになったのは困ったものであります。
 それと共に、一時の雷同に出でないで、心ひそかにこの世の有様を観察し、或いは憤慨している者がようやく多くなってゆきました。

 本町一丁目の自身番へ、眼の色を変えて飛び込んだのは、いつもそそっかしい下駄屋の親爺《おやじ》であります。
「大変だ!」
と言ってその親爺は息を切りました。この男のそそっかしいのは今に始まったことではないけれど、今日は眼の色が変ってるだけに、それから貧窮組の騒ぎが納まって間もない時であるだけに、そこに集まる親爺連の胸を騒がせて、
「どうなすった」
 種彦《たねひこ》の合巻物《ごうかんもの》を読んでいた親爺も、碁と将棋をちゃんぽんにやっていた親爺も、それの岡目をしていた親爺も、昼寝をしていた親爺も、そこに集まる親爺という親爺が、みんな下駄屋の親爺の大変だという一声で驚かされました。
 一体、ここへ集まる親爺連は、かなりいい気なものでありました。外は往来の劇《はげ》しい本町の真中で、内は閑々たる別天地、半鐘がジャンと打《ぶっ》つからない限りは他人の来る気遣《きづか》いはないところで、これらの親爺連の心配になることは、夕飯を蕎麦《そば》にしようか、それとも鰻飯《うなぎめし》とまで奮発しようかというような心配でありました。鰻のついでに酒の隠れ呑みもしなければならないというような心配でありました。その閑々たる空気を、下駄屋の親爺が破って言うことには、
「外へ出てごらんなさい、大変な物だ、そこの雨樋筒《あまひづつ》に生首が一ツ
前へ 次へ
全86ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング