しそうだとすれば、これは前の説よりも一層、威権を加えた後光《ごこう》であります。それを知ってその筋が、内偵の手を引いたのももっともと頷《うなず》かれる次第でありました。
 こんなふうに後光の射すほど、老女の隠れた勢力を信用しているものもあれば、また一説には、ナニあれはそんな混入《こみい》った威権を笠にきている女ではない、単に一種の女丈夫であるに過ぎない。たとえば筑前の野村望東尼《のむらもとに》といったような質《たち》の女で、生来ああした気象の下に志士たちの世話をしたがり、その徳で諸藩の内から少なからぬ給与を贈るものがあり、志士もまたこの家をもっともよき避難所としているに過ぎないという説も、なるほどと聞かれないではありません。
 いずれにしてもこの老女がただものでないということと、ただものでないながら、こうして通して行ける徳望は認めなければならないのであります。侠気《きょうき》、胆力、度量、寧《むし》ろ女性にはあらずもがなの諸徳を、この老女は多分に持っているには違いありません。
 別に、この老女が愛して、手許から離さぬ一人の若い娘がありました。これは疑問の余地がなく、甲州から男装して逃げて来た松女であります。老女が外出する時も、そのお伴《とも》をして行くのは大抵は松女でありました。
 甲州街道でお松の危難を助けて、江戸へ下った南条なにがしもまた、この老女の許《もと》へ出入りする武士のうちの重《おも》なる一人でありました。
 南条なにがしは、お松を助けて江戸へ出て、それからこの老女にお松の身を托したということは、おのずから明らかになってくる筋道であります。
 或る日、南条なにがしは、不意に一人の人をつれてこの家を訪れ、老女の傍にいたお松を顧みて、
「お松どの、珍らしい人にお引合せ申そう、奢《おご》らなくてはいかん」
と冗談《じょうだん》を言いながら、
「宇津木」
と呼びました。次の間にいた兵馬が、なにげなくこの座敷へ通ってまず驚いたのは、そこにお松のいることでありました。お松もまた一見してその驚きと喜びとは、想像に余りあることでありました。
「まあ、兵馬さん」
 甲府以来、その消息を知ることのできなかった二人が、ここで思いがけなく面《かお》を合せるということは、全く夢のようなことであります。
「いや、これには一場の物語がある、君に事実を知らせずに連れて来たのは罪のようだ
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