胸に迫って来るのであります。兵馬は全く、自分の腑甲斐ないことに泣きたくなりました。
 ともかくも和尚の前を辞して、定められたる書院の一室に落着いた後までも、兵馬はこの泣きたい心持から離れることができません。
 ついには、こうして、永久に自分は兄の敵《かたき》を討つことができないで了《おわ》るのかと思いました。そうして、討つことのできない兄の敵を、東奔西走して尋ね廻った自分は、それでけっきょく一生がどうなるのだということをも、考えさせられてしまいました。
 それだけの意味ならば、敵討《かたきうち》はばかばかしいと、昼寝をするにも劣るように罵った和尚の言葉が当らないでもない。そうして畢竟《ひっきょう》、悪いことをした奴は、悪いことをしただけが仕得《しどく》で、人間の応報の怖るべきことを思い知る制裁を与えらるることなしに済んでしまうとしたら、この世の中は不公平なものだ、ばかばかしいものだ。兵馬はそんなことを考えると頭が重くなって、経机《きょうづくえ》の上に両手でその重い頭を押えて俯伏《うつむ》いた時、ハラハラと涙がこぼれました。
 宇津木兵馬はその晩、泣いてしまいました。それは自分の腑甲斐ないことばかりではなく、過ぎにしいろいろのことが思い出されると、涙をハラハラとこぼしはじめて、やがて留度《とめど》もなく泣けて仕方がありません。
 兵馬自身にも、その悲しいことがわかりませんでした。慢心和尚に言われたことの腹立ちは忘れて、ただただ無限に悲しくなるのでありました。それだから経机の上へ突伏《つっぷ》して、いつまでも眠ることもしないで泣き暮していました。
 いっそのこと、刀も投げ出し、お松を連れてどこへか行ってしまおうかしら。そうして小店《こだな》でも開いて、町人になってしまおうかとも思わせられました。そうでなければ髪を剃りこぼって、こんなお寺のお小僧になってしまった方が気楽だろうとも考えさせられました。
 兵馬の心は、今日まで張りつめた敵討の心に疲れが出て来たのかしら。人を悪《にく》む心よりは、人恋しく思うようになって泣きました。
 張りつめていたから、今までお松と、ほとんど同じところに起臥《きが》していても、その間にあやまちはありませんでしたが、今こうして見れば、お松の今まで尽してくれた親切と、異性の懐しみとが犇《ひし》と身に応《こた》えるのであります。これは思いがけないことで、この寺で坊さんに嘲られてから、兵馬自身に、女を恋しく思う心が起りました。
 すでに敵《かたき》を討つということをないものにすれば、自分はこれから一生を、なるたけ無事に、なるたけ楽しく、そうしてなるたけ長く生きて行きさえすればよいことになる。それをするにはお松という女は、実によい相手であるとさえ思わせられないではありません。
 もし、ここの和尚が言ったように、敵を討つことがばかばかしいことであるとするならば、この方法を取って、なるべく長く生きるのが賢い方法であって、その方法はいくらでもあることを、兵馬は無意味に考えさせられました。
 お松の心はすでに、そうなっているとさえ、兵馬には想像されるのであります。「いっそ、命を的の敵討などはやめにして……お前と一緒に末長く暮そうか」「それは、本当でございますか」そう言ってお松の赧《あか》らむ面《かお》が眼に見えるようです。お松の内心では、疾《と》うからそこへ兵馬を引いて行きたいように見えないではありません。
 すこしも早く本望を遂げた上は、兵馬に然るべき主取りをさせて、自分もその落着きを楽しみたい心が歴々《ありあり》と見えることもある。
 もしまた本望を遂げないで刀を捨てる時は、たとえ八百屋、小間物屋をはじめたからとて、お松はそれをいやという女でないことも思わせられてくる。
 この時、兵馬は、竜之助を追い求むる心よりも、お松を思いやる心が痛切になりました。明日の晩は甲府へ入って、お松を訪ねてやろうという心が、むらむらと起りました。
 慢心和尚という坊主が、よけいなことを言ったおかげで、せっかくの兵馬の若い心持をこんな方へ向けてしまったとすれば、不届きな坊主であります。けれども、その不届きな坊主の無礼な言葉をも忘れてしまったほど、兵馬はお松のことが思われてなりませんでした。

         四

 果して兵馬はその翌日、またも甲府へ向って忍んで行きました。
 それは雲水の姿をして行きました。網代笠《あじろがさ》を深く被《かぶ》って袈裟文庫《けさぶんこ》をかけて、草鞋穿《わらじばき》で、錫杖《しゃくじょう》という打扮《いでたち》です。
 机竜之助を探るのは二の次で、お松のいるところまでというのが、この時の兵馬の第一の心持であります。
 甲府の市中へ入ったのは夜で、甲府へ入ると兵馬は、駒井能登守を訪ねようとはしないで、神尾主膳の邸の方へ、心覚えの経文を誦《ず》しながら歩いて行きました。
 神尾の門前を二度三度通ってみました。またその邸の周囲を、さりげなく廻ってみました。しかしながら、それだけではお松の姿を見ることもできず、それに合図をする便りもありませんでした。
 前にも一度、兵馬はこの家を覘《ねろ》うて、それがために御金蔵破りの嫌疑を蒙《こうむ》って、獄中に繋がれた苦い経験を思い出さないわけにはゆきません。一度は神尾の屋敷のまわりを廻ってみたけれども、この姿で二度と廻ることは危ない、と言って、声を出して呼んでみることは無論できない。わざと経文を声高く誦《ず》してみたところで、それは、またあらぬ人の怪しみを買うばかりで、お松の耳に届こうわけもないのであります。ぜひなく兵馬は、神尾の屋敷から引返して、甲府の市中を当もなく歩きます。忍ぶ身になってみると、無性《むしょう》に懐かしくなって、お松に会いたくてたまらなくなりました。
 それをするのに最も便宜な方法は、駒井能登守の屋敷を訪ねることであります。能登守の邸を訪ねてみれば、万事を心得ているお君が、言わずともよく計らってくれないはずがない。兵馬はそれを知りつつも、どうも能登守の屋敷へは行けないのであります。行って行けないことはないけれども、今は行くべき必要が無いはずなのであります。
 それで兵馬は空《むな》しく経文を誦しつつ、徒《いたず》らに甲府の町を歩きました。歩き歩いているうちに、いつしか駒井能登守の屋敷の後ろへ来てしまったことに気がつきました。
 やや歩いて行って振返った時に、駒井の屋敷の長屋塀のある門前から左の方に、高く二階家の燈《ともしび》の光の射すのを遠目にながめました。そこは自分が獄中から出て病を養うたところである。
 それから右の方へ廻って後ろになって能登守の居間があり、お君の方《かた》のお部屋がある。お君という女はもと賤《いや》しい歌唄いの女、それと知ってか知らずにか、能登守ほどの人が寵愛《ちょうあい》していることを、兵馬はその時分も異様に思いました。
 能登守は無論お君の素性《すじょう》を知らないのだろう。知らないとすれば、それが現われた時はどうなるだろう。これは能登守の生涯の浮沈に関する大問題に相違ないのであります。
 兵馬はその時分に、能登守のために諫言《かんげん》をしようかとも思いました。
 けれどもその機会を得ずに邸を去りました。思い切ってその諫言をしないで邸を去った腑甲斐なさを、ここでも悔む心になりました。
 あれほどの人でも女に溺れると、目がなくなるものかと情けなくもなります。溺れる心はないが、今の自分もやはりお松という女に、苟且《かりそめ》ながら引かれて来たことを思うと、そこにも情けないものがあるようです。恰《あたか》もよし、この時、兵馬の空想を破るものが足許から起って来ました。
 恰もよし、とは言うけれども、実際それは善かったか悪かったかは疑問であります。
 兵馬の足許に現われた黒い物は、ムク犬であります。
「ムク」
 兵馬は低い声でその名を呼んで頭を撫《な》でました。ムクは尾を振って喜びました。
 兵馬とムク犬との間柄の、よく熟していることは、久しい前からのことでありました。お君を理解し、お松を理解し、また米友を理解するムク犬が、いつまでも兵馬に対して敵意を持っていようはずがありません。兵馬はこの犬を見て、このさい最もよき使者の役目をつとめるのは、この犬のほかにないと喜びました。
「ムク、こっちへ来い」
 兵馬は素早く歩き出しました。その旨《むね》を心得てかムク犬は、兵馬のあとを跟《つ》いて行きました。
 憐れむべきムク犬は、いま不遇の地位にいるのであります。間《あい》の山《やま》以来の主人は、すでに他に愛せらるべき人を得て、以前ほどにこの犬の面倒を見てやることができません。
 代ってこの犬を養うべき女たちは、元の主人ほどに親身を以て世話をすることはできないのであります。時としては叱り罵ることさえあり、時としては自分たちのした粗忽《そこつ》を、犬にかずけ[#「かずけ」に傍点]て責めをのがれようとすることさえあるのであります。
 さしもに黒い毛を、以前はお君が絶えず精出して洗ってやったから、漆《うるし》のように光沢《つや》がありました。このごろは、手を下《くだ》して滅多に洗ってやる者がないから、汚れた時は汚れたままでいることがあります。食事でさえも、その時その時に忘れられて与えられないことがあるのであり、ムクは巨大の犬であるだけに、食物の分量もまた多量を要する。食を細くされてから後は、餓えを感ずることがしばしばあって、催促がましく台所へ現われる時は、心なき女どもはそれを侮《あなど》りうるさがることもあるのであります。それでもお君の眼に触れた時は、女中に言いつけてよく世話をさせるにはさせます。そのほかの時は、神尾の屋敷でお松に愛されることによって、ムク犬はお君に失い、米友に行かれた空虚を補うことができるらしくありました。
 お米倉の構外《かまえそと》まで来た時に、兵馬はムク犬を顧みてこう言いました。
「ムク、お前は賢い犬だ、神尾の屋敷から、お松の便りをしてくれたのはお前だそうだ、今日は、わしからお松の許《もと》まで、お前に使を頼む」
 兵馬は、紙と矢立を取り出してサラサラと一筆|認《したた》め、それを紐《ひも》でムク犬の首に結《ゆわ》いつけました。
 ムクは確かに神尾の屋敷の中へ入って行ったけれども、容易にその返事を齎《もたら》しませんでした。兵馬は長くそこに立っていることがけねんに堪えられない。人目に触れないように、行きつ戻りつしていたけれど、ムクは容易に戻って来ませんのです。兵馬はここに人を待つ身となりました。
 待つ身になってみると、来る人が一層恋しくなるものか知ら。兵馬は早くお松に会いたい会いたいという心が、今までになかったほど胸に響きます。
 お松から愛せらるることの多かった兵馬。今はお松を慕う心が、我ながら怪しいほどに切《せつ》になってゆくようです。
 お松の身になってみると、この頃は立場に迷う姿であります。立場に迷うというだけならば迷ったなりで、ともかく、その日を過ごして行けるけれども、居ても立ってもいられないようなことばかり、その周囲に降って湧きました。
 第一は兵馬に去られたことであります。駒井家を立退くということは早晩そうあらねばならぬことだけれども、あまりに急なことでありました。ことにその行先の知れないということが、お松にとっては、どのくらい残念であり心細くあるか知れません。それと同時に、降って湧いたような気の毒な風聞が、今のいちばん親しい友達であるお君の身の上にかかって来たことであります。
 その風聞というのは、このごろ士人一般の間に取沙汰せられている、お松の親愛なお君の方が、ほいと[#「ほいと」に傍点]の娘だという噂であります。あれは人交《ひとまじわ》りのできぬ素性の者であるに拘らず、能登守を欺《あざむ》いて、その寵愛《ちょうあい》をほしいままにしている汚《けが》らわしい女、横着《おうちゃく》な女という評判が立っていることであります。
 それと共に、能登守ともあろう者が、ほいと[#「ほいと」に傍点]の
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