外そうとしたけれど遅かった。突いても、引いても、押しても、捻《ひね》っても、動かばこそ、汗は滝のように流れ出した。槍を挟まれた近藤は、空《むな》しく金剛力を絞り尽すことまた半時あまり、その時に拳骨和尚が大喝一声ともろともに椀を放すと、さしもの近藤が後ろに尻餅つき、槍は畳三四枚ほどの距離をあっちへ飛んだ。勇は、あまりのことに呆れ果てたけれども、彼もまた豪傑であった、恭《うやうや》しく礼を正して和尚に尋ねた。
「まことに万人に優れたお腕前、感服の至りでござる。そもそも貴僧はいずれのお方に候や、名乗らせ給え」
「お尋ねを蒙《こうむ》るほどの者には候わず、愚僧は備後《びんご》尾道《おのみち》の物外《もつがい》と申す雲水の身にて候」
と聞いて、近藤はじめ、さては聞き及ぶ拳骨和尚とはこの人かと、懇《ねんご》ろにもてなしたということであります。
嘘か、まことか、この話は今に至るまでかなりに有名な話でありました。
宇津木兵馬は、その和尚のことを思い出したから、もしや右の拳骨和尚が、慢心和尚と変名して、この地に逗留しているのではないかとさえ思いました。そうでなければ、こんな勇力ある坊主が、二人とあるべきはずのものではなかろうと思いました。
それで兵馬は慢心和尚に向って、
「老和尚はもしや、備後尾道の物外和尚ではござりませぬか」
と尋ねました。
「そんな者ではない、そんな者は知らん」
と言いながら慢心和尚は、駕籠を担いでサッサと行くのであります。それですから、一度はそれと尋ねてみたけれど、二の句は継げません。こうして金剛杖を突いて、やっぱりあとを追っかけて行くうちに勝沼の町へ入りました。
その時分、もう夜は更《ふ》けきっていたのであります。勝沼へ来て柏尾坂《かしおざか》の上で和尚が、はじめて駕籠を肩から卸して土の上に置き、その駕籠の上に頬杖をつきながら、
「宇津木さん、これから先は、この中の人をお前さんに引渡しますよ、どうかして江戸へつれて行って上げるのがいちばんよかろうと思いますよ。この中の人には向岳寺の方から手形が出ているし、お前さんは、わしの寺からということにしてあるから、道中も無事に江戸へ行けるだろうが、出家姿で女を連れて歩くというのも異《い》なものだから、あたりまえの武士の風《なり》をして行くがよかろう。この町で富永屋庄右衛門というのをわしは知っているから、それを起して今晩は泊めてもらい、そこで両人とも支度をととのえて、明朝にも江戸へ出かけることにしてもらいたいね。その行先は両人で相談してみるがよい。そうして兵馬さんの方は御用は済んだら、またこっちへ帰って来て、敵討《かたきうち》というやつをおやんなすったらよかろう」
こう言いましたから、兵馬は、やっぱり呆気《あっけ》に取られていると、
「さあ、そういうことにして、これから富永屋を叩き起そう、宿屋が商売だから、いつなんどきでも叩き起して、いやな面《かお》をするはずはない、ことに恵林寺の慢心が来たといえば、庄右衛門は喜んで出迎える」
とにかく、こうして駕籠《かご》は勝沼の町の富永屋庄右衛門という宿屋の前へ来て、再び土の上へ置かれました。
慢心和尚はその宿屋の前へ立って、拳を上げてトントンと戸を叩きましたけれど起きませんでした。大抵の場合には、時刻を過ぎては狸寝入りをして、知っていても起きないことがあるのでしたから、慢心和尚は、やや荒く戸を叩いて、
「富永屋、富永屋……庄右衛門、庄右衛門、恵林寺の慢心だよ、慢心が出て来たのだよ、起きさっしゃい」
こういうと慢心の利目《ききめ》が即座に現われて、家中が急に混雑をはじめました。
慢心和尚はここの家へ二人を送り込んでから、スーッと帰ってしまいます。
駕籠の中の主が、お君であったということを、兵馬はこの宿屋の一室へ来て、はじめて知りました。お君はその前から感づいていたけれど、口に出して言うことはできませんでした。兵馬にとっては意外千万のことです。ことに神尾主膳のために駒井能登守が陥《おとしい》れられた一条を聞いて、兵馬は気の毒と腹立ちとに堪ゆることができません。
またその後のお松の身の上を聞いてみると、やはり危険が刻々と迫っていて、今日は逃げ出そうか、明日は忍び出そうかと、そのことのみ考えているということを聞いて、それも心配に堪えられませんでした。
けれども、さし当っての問題は、預けられたこの女をどうするかということであります。執念深い神尾主膳の一味はこの女を生捕《いけど》って、また何か恥辱を与えんとするものらしい。さすがに尼寺は荒せなかったけれど、一歩踏み出すとあの始末です。
甚だ迷惑千万ながら、兵馬としては、やはりこの駕籠を江戸まで送り届けることを、ともかくもしなければならないなりゆきになってしまいました。お君は、もう弱り切っていました。兵馬はお君を先に休ませて、明日の駕籠や乗物の事を心配しました。明朝と言っても、もう間もないことだから、今からどうしようという手筈《てはず》もつかないのであります。且《かつ》又《また》、弱り切ったお君の姿を見ると、このうえ駕籠に揺られて、険《けわ》しい山越しをさせることは考えものであります。
そこで兵馬は、明日一日はここに逗留《とうりゅう》して隠れていようと思いました。その間に準備をととのえ、お君にも休息の暇を与えて、明後日の早朝に出立しようと考えたのであります。
駕籠の中には兵馬の衣服大小の類も、路用の金も入れてありましたから、兵馬はそれを取り出して調べました。
江戸へ送り届けて後のこの女の処分も、考えればまるで雲を掴《つか》むようなものです。まさかに能登守の本邸へ送り届けるわけにはゆくまいし、さりとて、江戸はこの女の故郷ではない。江戸へ連れ出してみての問題だが、ともかく、江戸へ連れ出しさえすればどうにかなるだろうと思いました。
そうしてこの女を江戸へ届けて、ともかくも落着けてみてからの兵馬自身の行動は、直ちにまたこの甲州へ舞い戻って来ることであります。最も怪しむべきは神尾主膳である。駒井能登守を陥れた手段の如きは、聞いてさえその陰険卑劣なことに腹が立つ。わが狙《ねら》う仇も、確かにあの神尾が行方《ゆくえ》を知っているもののように思われてならぬ。こうなってみると、今は神尾を中心として当ってみることが最上である。場合によっては、あの邸へ斬り込んで……とまで兵馬は決心しました。
疲れ切ったお君は、傍《かたわら》にスヤスヤと寝ているけれど、兵馬は寝もやらずに考えています。
十
その翌日は、あまり大降りではないけれども、とにかく雨が降りました。宇津木兵馬にとってはこの雨がかえって仕合せなくらいでありました。兵馬はお君をここで、できるだけ休養させようとしました。お君は病人のようで、兵馬はその看護をしているもののようにして、旅の用意を調えつつ、その日一日を暮らしました。
ちょうどこの時に、この富永屋という宿屋に、一人の年増《としま》の女が逗留《とうりゅう》していました。
この間、絹商人だという亭主らしい人と一緒に来て、その亭主らしい人はどこかへ出て行って、まだ帰って来ない間を、その年増の女がたった一人で幾日も待っているのであります。
けれども、その亭主らしいのが幾日も帰っては来ないうちに、帳場へ懇意になり、主人の庄右衛門とも心安くなりました。
そうしているうちに番頭が病気になると、この女が帳場へ坐り込みました。帳場へ坐り込んだと言ったところで、主人を籠絡《ろうらく》したり、番頭を押しのけて坐り込んだわけではなく、自分の暇つぶしに懇意ずくで、手助けをしてやるような調子で働いてやっていました。
ところがこの女は、人を遣《つか》うことが上手、客を扱うことに慣れきっていました。その技倆から言えば、前の番頭などは比較になるものではありません。このくらいの宿屋を三ツ四ツ預けたとて、物の数とも思わないくらいの冴《さ》えた腕を持っているように見えましたから、主人は舌を捲いていました。雇人たちは喜んでそれに使われるようになりました。それに、番頭の病気が捗々《はかばか》しくなくて湯治《とうじ》に出かけるというほどであったから、そのあとを主人も頼むようにし、当人も退屈まぎれの気になって、この女が今では、ほとんどこの店を預かっているのであります。この女というのは、別人ではなく――両国で女軽業師の親方をしていたお角であります。
その雨の降る日に、お角は帳場に坐っていました。
「お千代さん、それでは三番のお客様も、今日は御逗留なのだね」
と言って、お千代という女中に尋ねました。
「はい、今朝は早くとおっしゃっておいででございましたが、お足が痛いからとおっしゃって、もう一日お泊りなさるそうでございます」
「そりゃそうでしょう、あのお御足《みあし》では……あまり旅にお慣れなさらないお方のようですね」
「ほんとに女のようなお若い、お美しいお侍《ひと》でいらっしゃるのに、お足を、あんなにお痛めなすっては、おかわいそうでございます」
「お見舞に上ってみましょう」
お角はこう言って、その足を痛めた美しい侍の、三番の室というのを見舞に行こうとしました。
ここで話題に上った三番の室というのは、それは兵馬とお君との部屋をいうのではありません。二人のいるのは一番の室であります。今の話の三番の室には刀架《かたなかけ》があって、大小の刀が置いてあります。その前の床柱に凭《もた》れてキチンと坐っているのは、兵馬よりは二ツ三ツも若かろうと思われるほどの美少年であります。
「御免下さりませ」
と言ってお角がそこへ訪ねて来ました。
「これはどなた」
という声は、少年にしてはあまりに優しい声であります。
「生憎《あいにく》の雨で、さだめて御退屈でいらせられましょう」
「これは御内儀でござったか。生憎の雨のこと故、もう一日、出立を見合せまする」
「どうぞ御悠《ごゆる》りとお留まり下さりませ、なにしろ、音に聞えたこの笹子峠でござりまする、お天気の時でさえ御難渋の道でござりまする」
「明朝は駕籠を頼み申しまする」
「はい畏《かしこ》まりました。あの、明朝はこのように雨が降りましても、やはり御出立でござりますか」
「左様……雨が降っては」
「雨が続きましたら、もう一日御逗留なさいませ、ごらんの通りの山家《やまが》、お構い申し上げることはできませんけれど」
「しかし……ちと急ぐこともある故、もし明朝は雨が降っても峠を越したいと思いまする」
「左様でござりまするか。左様ならばそのように駕籠を申しつけておきましょう」
「よろしく頼みまする」
「それではそのおつもりで……どうぞ御悠《ごゆる》りと」
お角はお辞儀をして出て行こうとすると、
「あの、御内儀……」
美少年は何か頼みたいことがあるもののように、立ちかけたお角を呼び留めました。
「はい」
「ちとお尋ね致したいが、あの峠へかかるまでにお関所がありましたな」
「はい、駒飼《こまかい》と申すところにお関所がござりまする」
「あの、その関所は、手形が無くては通してくれまいか」
「それはあなた様、お関所にはどちらにもお関所の御規則がありまして」
「それをどうぞして、抜けて通る路はあるまいか」
「あの、お関所の前をお通りなされずに?」
「粗忽千万《そこつせんばん》のことながら、その手形というものを途中で失うて困難の身の上、何と御内儀、よい知恵はござるまいか」
美少年は一生懸命でこれだけのことを言いました。よほどの勇気をもってこの宿の主婦と見たお角にこのことを打明けて、相談をしてみる気になったものであります。
しかし、これだけの相談として見れば、それだけの相談だけれど、表向きに言えば、お関所破りの相談であります。どうしたらお関所破りができるか教えてくれというようなものであります。お角はこの少年の面《かお》を篤《とく》と見ないわけにはゆきませんでした。
「それはそれはお困りのことでござりましょう、ほかのことと違いまして」
お角も、さすがに即答がなり兼ねるらし
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