いや》と言っても応《おう》と言っても、こうなったからは仕方がございませぬ、わたしはどうしたらようございましょう」
「なんと言っても甲州の天地は狭いから、ともかくもこれから江戸へ行くのじゃ、おそらくお前は生涯、拙者の面倒を見なければなるまい」
「わたしは怖ろしくてたまりません、けれどもどうしてよいかわかりません、それでもわたしはあなたと離れようとは思いません」
「黙って拙者のすることを見ていてくれ」
「黙って見てはいられません、わたしもあなたと一緒に生きている間は、あなたのような悪人にならなければ、生きてはおられませぬ」

         三

 恵林寺《えりんじ》の師家《しけ》に慢心和尚《まんしんおしょう》というのがあります。
 恵林寺が夢窓国師《むそうこくし》の開山であって、信玄の帰依《きえ》の寺であり、柳沢甲斐守の菩提寺《ぼだいじ》であるということ、信長がこの寺を焼いた時、例の快川国師《かいせんこくし》が、
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安禅必不須山水《あんぜんかならずしもさんすいをもちゐず》
滅却心頭火自涼《しんとうめつきやくひもおのづからすずし》
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の偈《げ》を唱えて火中に入定《にゅうじょう》したというような話は、有名な話であります。
 宇津木兵馬は駒井能登守から添書《てんしょ》を貰って、ここの寺の慢心和尚の許《もと》へ身を寄せることになりました。
 慢心和尚というけれども、和尚自身が慢心しているわけではありません。和尚は人から話を聞いていて、それが終ると、非常に丁寧なお辞儀をする人でありました。非常に丁寧なお辞儀をしてしまってから後に、
「お前さんより、まだ大きなものがあるから、慢心してはいけません」
 王城の地へ上って行列を拝した時にも、和尚は恭《うやうや》しく尊敬の限りを尽しましたけれども、そのあとで、
「お前さんより、まだ大きなものがあるから、慢心してはいけません」
と言って帰りました。
 領主や大名へ招かれた時でも、そうでありました。御馳走になったあとでは、非常に丁寧なお辞儀をして、帰る時に、
「お前さんより、まだ大きなものがあるから、慢心してはいけません」
 諸仏菩薩を拝んだあとでも、また同じようなことを言いました。
「お前さんより、まだ大きなものがあるから、慢心してはいけません」
 慢心和尚の名は、おそらくその辺から出て呼びならわしになったものと思われます。慢心してはいけませんというのは、人に向って言うのではなく、自分に向って言うのらしいから、それで誰も慢心和尚の不敬を咎《とが》めるものはありませんでした。
 慢心和尚の面《かお》はまん[#「まん」に傍点]円いと言うても、またこのくらいまん[#「まん」に傍点]円いのは無いものでありました。面の全体がブン廻シで描いたと同じような円さを持っていました。そうしてそのまん[#「まん」に傍点]円い面のまん[#「まん」に傍点]中に鼻があるにはあるけれども、眼と眉は有るといえば有る、無いといえば無いで通るくらいであります。
 ほんのりと霞がかかったように、細い眉が漂うている。その代りでもあるまいけれど、口は特に大きいのです。和尚の拳《こぶし》は小さい方ではないけれど、その小さい方でない拳を固めて、それを包容し得るほどに、和尚の口は大きいのでありました。それがお師家《しけ》さんで通るのだから、大した学問とか隠れたる徳行とかいうものを持っているのかと思えば、それが大間違いであります。学問は門前の小僧よりも出来ない人でありました。書入れをしたり仮名《かな》をつけたりして、やっと読むことのできる語録を二三冊持っていることが、和尚の虎の巻で、それを取り上げてしまえば、水をあがった河童《かっぱ》同様で、講義も提唱もできないのであります。
 隠れたる徳行にも、隠れざる徳行にも、和尚の人を驚かす仕事は、ただ自分の拳を自分の口の中へ入れて見せるくらいのものであります。これだけは尋常の人にはできないことでありました。けれども和尚は決して、そんなことを自慢にしてはいません。自分の拳が、自分の口の中へ入るというようなことを※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》にも人に示したことはありませんから、はじめて和尚を見た人は、さても円い面の人があるものだと驚き、次に大きな口もあればあるものだと驚き、あとで人から、あの口へあの拳が入るのだと聞いて、三たび驚くのでありました。
 宇津木兵馬もこの和尚に相見《しょうけん》の時から、三箇《みっつ》の驚きを経過しました。慢心和尚は宇津木兵馬からその身の上と目的を聞いて後、例の慢心は持ち出さないでこう言いました。
「わしはその敵討《かたきうち》というのが大嫌いじゃ」
 兵馬は和尚のその言葉に、平らかなることを得ませんでした。
「し
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