「お前はなかなか力がある。それでなにかい、槍も使えるのかい」
「槍?」
大男は妙なことを言うと思って、米友の面《かお》を見ました。
「そうさ、力はあっても、槍を自由に使いこなすことはできないだろう」
「そんなことはできねえでございます、槍だの、剣術だのというものは、俺にはできねえでございます」
「そうだろう、こりゃなかなか生れつきなんだからな、力ばかりあったって、上手に使えるというわけのものでねえんだ」
力の分量においてこの大男に及ばないことを自覚しかけた米友は、技《わざ》において優れていることを自負しようとしているもののようであります。
「お前さんはこれからどっちへおいでなさるんだね」
大男は力や槍や剣術のことには取合わないで、米友のこれから行くべき方向をたずねるのでありました。
「俺《おい》らか、俺らはこれから江戸へ行こうというんだ」
「江戸へ。そうしてどっちからおいでなすったのだね」
「甲州から来たんだ」
「そうでございますか、それでは俺も、これから武州路を帰るのでございますから、一緒にお伴《とも》をして帰りましょう」
「そりゃ有難え」
「ホーイホイ」
「何だい、先からあの声は」
「猪《しし》が畑を荒すから、それを村方で追っ払っているのでござんすべえ」
この大男が、沢井の水車番の与八であることは申すまでもありませんです。
与八が背負って来たお地蔵様は、いつぞや東妙和尚が手ずから刻んだお地蔵様であることも、推察するに難くないことであります。
肥大なる与八と、短小なる米友が打連れて歩くところは、当人たちは至極無事のつもりだけれど、他目《よそめ》で見ればかなりの奇観を呈しているのでありました。与八の歩くのは牛のようでありましたけれども、しかも大股でありました。米友の走るのは二十日鼠のようであって、しかも跛足《びっこ》なのであります。与八を煙草入とすれば、米友はその根付のようなものであります。与八を三味線とすれば、米友はその撥《ばち》みたようなものです。もしまた与八をお供餅《そなえもち》とすれば、米友は団子みたようなものであります。与八を猪八戒《ちょはっかい》として、米友を孫悟空《そんごくう》に見立てることは、やや巧者な見立て方であるけれど、与八は八戒よりも大きく、米友は悟空よりも小さいくらいの比較でなければなりません。
「お前、江戸に親類があるって?」
前へ
次へ
全93ページ中47ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング