。この一行は勢いよく表門を乗り出して、八日市通りを東に向って練り出しました。
それと気のついた者は早くも立ち出でて、
「御支配が江戸へお引上げになる」
といって騒ぎました。騒いだけれども、一行の威風に呑まれて、夜陰《やいん》屋敷へ来てするように罵ったり、石を投げたりする者はなく、ただ一種異様の眼を以て見送っているうちに、馬蹄《ばてい》の音は消えて、一行は早くも甲府の城下を去ってしまいました。
一行の姿が見えなくなってから、また噂は喧《かまびす》しくなりました。
ああしてこの甲府から引上げた能登守は、問題のあの身分ちがいのお部屋様というのを、どう処分なされたのだろうということが評判の種とならずにはいません。
そのうちに恐ろしい噂が立ちました。
それはお部屋様のお君が自害してしまったという噂と、殿様のお手討に遭《あ》ってしまったという二説であります。自害説よりは、お手討説の方が有力でありました。
駒井能登守はその立退きに当って、寵愛のお君の方を斬って二つにし、井戸へ投げ込んで立去られたと、見て来たように言う者もありました。そうではない、家臣の者がお君の方を刺し殺して、井戸へ投げ込んで引上げたのだという者もありました。
ともかく、すべての者にお暇が出て、そのうちの一部の者は殿様がつれてお引上げになるうちに、ついにお君という女がどうなったかは、誰もその行方《ゆくえ》を知るものがありません。ことにその行方を知りたがって細作《しのび》をこしらえておく神尾派の者までが、ついにその消息を知ることができませんでした。
総て知りたがっていることがわからないのだから、それでさまざまの揣摩《しま》と臆測とが、まことのように伝えられて来るのはもっとものことであります。
そこで駒井能登守の屋敷は実際上の明家《あきや》となってしまい、筑前守の手に暫らく預かることになりました。二三の番人が置かれることになったけれども、その番人が夜になると淋《さび》しがってたまりません。
「お化けが出る」
という噂が、またパッと立ちはじめました。そのお化けを見たものがあるのだそうです。一人や二人でなく、幾人もそのお化けをみたという人が出て来ました。
その説明によると、お化けは若い美しい凄いお化けで、手に三味線を持っているということです。
それが肩先を斬られて血みどろになって、井戸の中から出て来
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