番のうちの上席の方の身分でありながら、それをこの席へ持ち出すということは、あまりに無遠慮であると思いました。
 太田筑前守がそれを抑《おさ》えないのも気の知れないことだと眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》るものもありました。駒井能登守は主膳の無遠慮な発言を聞いて、やはり沈黙していました。
 そうすると神尾主膳は、先程はやや甲走《かんばし》っていた声がようやく落着いて、提灯を枷《かせ》に使いながら、一人舞台のように主張をはじめてしまいました。
「まさしく何者かがあって、この提灯を夜な夜な天守の上へ掲げて我々を愚弄したものと相見える、奇怪千万のことと申さねばならぬ、この用捨し難き悪戯は、何者の手によって為されたかきっと訊《ただ》さねばならぬ。しかし、これと言うも末のこと、斯様《かよう》に我々を愚弄致すものがあるのは、つまり上《うえ》が悪い、上の風儀が乱れているが故に、下これを侮《あなど》る、まず以て上の士風から正さねば相成るまい、上に立つ者の風儀が乱れていては、いくらそれぞれの係の者が骨を折ったからとて所詮《しょせん》無益、一向に人のしめし[#「しめし」に傍点]にはならぬ、かえっていよいよ軽侮《けいぶ》を加えるのみじゃ、まず以て上流の風儀が肝腎《かんじん》」
と言って神尾主膳は、駒井能登守を尻目にかけるようにしました。これは、いよいよ無遠慮な言い分に相違ないことであります。
 上流の士風というようなことを、別人ならぬ神尾主膳の口から聞くことは、淫婦の口から貞操が説かれ、折助の口から仁義が論ぜらるるようなものであるけれど、それにしても、この席で神尾の上流としては、太田筑前守と駒井能登守があるくらいのものであります。これらの上席をそこへ置いて、こんなことを言うのは、この上もなき礼を失した言語挙動であります。神尾とても、そのくらいの礼儀を弁《わきま》えない男ではなかろうけれど、それを満座の中でかく主張するからには、やはり例の通り、何かの魂胆があることと見なければならないのであります。
 神尾の言い分も怪《け》しからんものであるけれど、それをまた抑えようとも咎《とが》めようともしない太田筑前守の座長ぶりもまた、気の知れないものであります。筑前守の態度は、神尾に言うだけのことを言わせてしまおうという態度のように見えることであります。その無礼と無作法とを黙認して
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