のを見ました。
 しかも直下する途中で提灯の体へ火がついたから、一団の火の玉が九仞《きゅうじん》の底に落つるような光景を、兵馬はめざましく見物しました。おそらく、ほかの市中の人もそれをめざましく見物したでしょう。

         五

 その翌日、城中の御番所で勤番の総寄合《そうよりあい》がありました。
 月に少なくも一度はある詰合《つめあい》でありましたけれど、その日の寄合は、特に念入りの寄合ということであります。
 御老中が見えるということもあるし、また御老中の名代《みょうだい》に、駿府《すんぷ》の御城代が立寄るという噂《うわさ》もあるし、それらの接待の準備や、また先日の流鏑馬《やぶさめ》の催しについての跡始末やなにかの相談もあるのであります。駒井能登守も無論、その総寄合に立会わねばならない。それでお供の者はお供の用意を整えて、主人のお出ましを待っていました。
 ここに訝《いぶか》しいことは、まだお君の方が今朝から枕を上げないことであります。殿様の御出仕には、いつも人手を借らずにお世話を申し上げる寵愛《ちょうあい》のお君が、どうしたものか今朝は気分が悪いというて、能登守の前へ姿を現わすことをしませんでした。それだから能登守は、ほかの女中の手によって世話をされながら、
「どこが悪いのじゃ」
と訊《たず》ねました。
「どこがお悪いのでございますか、急に……」
と言って、訊ねられた女中も、お君の方の病気の程度を知らないもののようであります。
 能登守はそれを物足らず思い、また事実、お君の病気が甚だ軽いものでなかろうということを心配しながら、出仕の時間に迫られて邸を出ました。
 この日の詰合には、当番も非番もみな集まるのでしたから、追手《おうて》の門は賑わいました。二の丸の下にある御番所の大広間は、これらの詰合でいっぱいになりました。能登守の一行も御番所へ着いた時分には、大方その席が満ちていました。上席の太田筑前守もまた別席に休憩して、会議の開かれる時刻を待っていました。御番所というのは、大手の門を入ると少しばかり行ったところの左手にあります。その右は二の丸で、後ろは楽屋曲輪《がくやくるわ》、表門の左右にはお長屋があり、お長屋の前には腰掛があって、足軽が固めていました。
 能登守はこの御番所の表門から入って、お長屋へお供を待たせて、刀を提げて玄関へかかりました。出迎
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