ならわしになったものと思われます。慢心してはいけませんというのは、人に向って言うのではなく、自分に向って言うのらしいから、それで誰も慢心和尚の不敬を咎《とが》めるものはありませんでした。
慢心和尚の面《かお》はまん[#「まん」に傍点]円いと言うても、またこのくらいまん[#「まん」に傍点]円いのは無いものでありました。面の全体がブン廻シで描いたと同じような円さを持っていました。そうしてそのまん[#「まん」に傍点]円い面のまん[#「まん」に傍点]中に鼻があるにはあるけれども、眼と眉は有るといえば有る、無いといえば無いで通るくらいであります。
ほんのりと霞がかかったように、細い眉が漂うている。その代りでもあるまいけれど、口は特に大きいのです。和尚の拳《こぶし》は小さい方ではないけれど、その小さい方でない拳を固めて、それを包容し得るほどに、和尚の口は大きいのでありました。それがお師家《しけ》さんで通るのだから、大した学問とか隠れたる徳行とかいうものを持っているのかと思えば、それが大間違いであります。学問は門前の小僧よりも出来ない人でありました。書入れをしたり仮名《かな》をつけたりして、やっと読むことのできる語録を二三冊持っていることが、和尚の虎の巻で、それを取り上げてしまえば、水をあがった河童《かっぱ》同様で、講義も提唱もできないのであります。
隠れたる徳行にも、隠れざる徳行にも、和尚の人を驚かす仕事は、ただ自分の拳を自分の口の中へ入れて見せるくらいのものであります。これだけは尋常の人にはできないことでありました。けれども和尚は決して、そんなことを自慢にしてはいません。自分の拳が、自分の口の中へ入るというようなことを※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》にも人に示したことはありませんから、はじめて和尚を見た人は、さても円い面の人があるものだと驚き、次に大きな口もあればあるものだと驚き、あとで人から、あの口へあの拳が入るのだと聞いて、三たび驚くのでありました。
宇津木兵馬もこの和尚に相見《しょうけん》の時から、三箇《みっつ》の驚きを経過しました。慢心和尚は宇津木兵馬からその身の上と目的を聞いて後、例の慢心は持ち出さないでこう言いました。
「わしはその敵討《かたきうち》というのが大嫌いじゃ」
兵馬は和尚のその言葉に、平らかなることを得ませんでした。
「し
前へ
次へ
全93ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング