神尾主膳の許《もと》にまでいて、御身の上を案じているということが、短いながらも要領を得て、まごころを籠《こ》めて書いて、それから、ぜひ一度お目にかかりたいが、どうしたらお目にかかれるだろうとの意味で、そのお返事をこのお薬の竹筒に入れて、友さんの手によって返していただきたいということであります。
兵馬には、いちいちそれが了解されました。お松の心持が充分にわかって、有難いとも思い、嬉しいとも思いましたが、ただ何人《なんぴと》の手によって、この薬と手紙とがここに持ち来《きた》されたかということは、大きなる疑問です。
「友さんの手によって」とあるけれども、その友さんの何者であるかを兵馬は知ることができません。したがって、その友さんなる者に頼むこともできません。そのうち、お君が見舞にでも来た時に聞いてみようと思いました。
ともかくも、これに対する返事を認《したた》めておこうと兵馬は、傍《かたえ》の料紙硯《りょうしすずり》を引寄せましたけれど、少し疲れているためと、頭を休ませる必要から、また仰向けになって眼を閉じていました。
昨日までの雪は晴れて、外は大へんに明るい。窓の下の庭では雪を掃いている物音が、手にとるように聞えます。
やがて兵馬は、お松のために返事の手紙を書いてしまって、疲れを休めていると、また窓の下で雪掃きをしているらしい人の声です。その声を聞くともなしに聞いていると、
「俺《おい》らは一体《いってい》、雪というやつはあまり好かねえんだ、降る時は威勢がいいけれど、あとのザマと言ったらねえからな」
雪を掃除している人が口小言を言っているらしい。突慳貪《つっけんどん》に言っているけれど無邪気に聞えて、おのずからおかしい感じがします。
「道はヌカるし、固めておけばジクジク流れ出すし、泥と一緒に混合《ごっちゃ》になって、白粉《おしろい》が剥《は》げて、痘痕面《あばたづら》を露出《むきだ》したようなこのザマといったら」
雪を目の敵《かたき》にして、頭ごなしにしているようです。しかしながら聞いていると、なんとなく前に聞いたことのあるような声でありました。誰であって、いつ会った人だか、ちょっと見当がつかないけれども、確かに兵馬の耳に一度は聞いたことのある声だと思わせられました。ふと、お松の手紙にある友さんというのはこの人のことではないかと、兵馬はそんなことを想像しまし
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