いつを持ってどこへでも行きねえ」
「そうしてお前は?」
「俺は俺で、臨機応変とやらかす」
「そんなことを言わないで、一緒に連れて逃げておくれ」
「そいつはいけねえ、おたげえのために悪い」
「お為ごかしを言っておいて、お前はこのお邸のお部屋様のところへでも入浸《いりびた》るんだろう」
「馬鹿、そんなことを言ってられる場合じゃあるめえ」
「それを思うと、わたしは口惜《くや》しい」
「何を言ってるんだ」
「もしお前がそんなことをしようものなら、わたしはわたしで持前《もちまえ》を出して、折助でもなんでも相手に手あたり次第に食っつき散らかして、お前の男を潰《つぶ》してやるからいい、このお金だってお前、あの後家さんだかお部屋様だかわからない女の手から捲き上げて来たお金なんだろう」
「そんなことがあるものか」
「そうにきまっている、そんならちょうど面白いや、あの女から貢《みつ》いだ金をわたしの手で使ってやるのがかえって気持がいい、みんなおよこし」
「持って行きねえ」
「もう無いのかい」
「それっきりだ」
「その背中に背負《しょ》っているのは、そりゃ何?」
「こりゃ脇差だ、これも欲しけりゃくれてやろうか」
「そんな物は要らない」
「さあ、それだけくれてやったら文句はあるめえ、早く行っちまえ、こうしているのが危ねえ」
「それでも……」
「まだ何か不足があるのかい」
 この時、二人の方へ人が近づいて来ます。がんりき[#「がんりき」に傍点]とお角は離れ離れに、塀の側と辻燈籠《つじどうろう》の蔭へ身を忍ばせようとした時、
「何をしやがるんだい」
 やにわにがんりき[#「がんりき」に傍点]に組みついて来たものがあります。
 それと見たお角は、前後の思慮もなくその場へ飛びかかりました。
「貴様は――」
 覆面の侍の後ろから飛びかかったお角は、直ちに突き倒されてしまいました。
「神尾の廻し者だろう、大方、そう来るだろうと思っていた」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は片手を後ろへ廻して、侍の髱《たぼ》を掴んで力任せに小手投げを打とうとしました。侍はその手を抑えて、がんりき[#「がんりき」に傍点]が差置いた青地錦の袋入りの刀を取ろうとしました。
「それをやってたまるものか」
 片腕のがんりき[#「がんりき」に傍点]は両手の利く侍よりも喧嘩が上手でありました。侍の腰がきまらないところを一押し押して
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