い」
「せっかく養生中じゃ」
「それからな、今日は重大な音信《たより》を聞いたから、知らせる」
「左様か」
「今日は、おれの方に一人の新参《しんまい》があった、それは、贋金遣《にせがねづか》いとやらの罪で、この牢へ送られた男だが、その男から聞いた話だ」
「なるほど」
「長州では、いよいよ三人の家老を斬って、幕府にお詫《わ》びをすることになったげな」
「ナニナニ、長州で三人の家老を斬って幕府へお詫びをすると? そりゃ夢のような話だ、真実《まこと》とは聞かれぬ」
「どうも、拙者においても信じきれぬのだが、その男の言うことを聞いてみればマンザラ嘘《うそ》とは思われぬ、まあ聞いてくれ、こういうわけじゃ。長州藩では去年の八月、入京を禁ぜられてから、その許しを願うことと、それから例の七卿の復任を許されたいということで、さまざまに建言をするけれど更に御採用がない、この上は兵力を以て京都へ推参して手詰《てづめ》の歎願をするほかはないと、久坂玄瑞《くさかげんずい》、来島又兵衛、入江九一の面々が巨魁《きょかい》で、国老の福原越後を押立てて、およそ四百人の総勢で周防《すおう》の三田尻から、京都へ向って出帆したというものだ」
「うむ、うむ」
「そのほかに、久留米の神主で、あの慷慨家《こうがいか》の真木和泉《まきいずみ》が加わる、それから中山卿のお附であった池、枚岡《ひらおか》、大沢の三人――中山卿は長州で亡《な》くなられたそうじゃ。大和の十津川から浪華《なにわ》を経て、長州へおいでになったが、そこで亡くなられたということじゃ。まだ十九か二十のお歳であろうに、お痛わしいことな」
「そうか、中山侍従は長州で亡くなられたか」
「御病気で亡くなられたか、または不慮の御災難であったか、その辺は更にわからぬ。してその中山卿のお附であった池、枚岡、大沢の三人も加わってよ、浪華へ着くと、同藩の仲間や諸藩の脱走が走《は》せ加わったから、兵を二手に分け、一手は船で山崎から、一手は陸を伏見へのぼって行った。何しろ兵器を携《たずさ》え、旗を立て、隊伍を乱さず上って行くのだから、京都も騒がずにはいられないのじゃ」
「なるほど、なるほど」
「それにまた国司信濃や益田右衛門介らが鎮撫《ちんぶ》を名として馳《は》せ加わって、とうとう御所へ押しかけてしまった、そこで会津、一橋、薩州の兵を相手に、畏《かしこ》くも宮闕《きゅう
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