。博奕《ばくち》をしていたのも、無駄話をしていたのも、みんな馳せ集まって来ました。
下では、こうして折助が芋を揉《も》むようにして噪いでいるのを、米友は見下ろしてハッハッと息を吐きました。
「ちぇッ、口惜しいなア、こいつらに邪魔をされて、あの駕籠を追蒐《おっか》けることができねえのが口惜しいなア」
屋根の上で足を踏み鳴らしつつ口惜しがりました。
四辺《あたり》を見廻しても、夜は真暗であります。真暗い中に甲府の城が聳《そび》えています。二の廓《くるわ》は右手の方に続いています。前も左もいずれも武家屋敷であります。
屋根へ上った米友は、いつぞや古市の町で宇津木兵馬に追い詰められた時のように、屋根から屋根を泳ぐつもりでありました。
米友は小躍《こおど》りして屋根の瓦の上を走りました。
「ソレ、そっちへ行った」
折助が噪《さわ》ぎました。
「ヤレ、こっちへ来た」
梯子《はしご》が飛び廻りました。ヒューと石が飛んで来ました。
「危ねえ!」
お手の物で米友は、その石を発止《はっし》と受け止めました。
「竹竿で足を打払《ぶっぱら》え」
折助は物干竿《ものほしざお》を幾本も担ぎ出しました。跛足《びっこ》になった米友は、その危ない屋根の上をなんの苦もなく走ります。市五郎の宅から大部屋の屋根の上を鼬《いたち》の走るように走って、武家屋敷の屋根へ飛び移りました。
折助は、いよいよ噪《さわ》ぎました。梯子と竹竿とが盛んに担ぎ出されます。今や噪ぐのは折助ばかりでなく、武家屋敷の者共が、みんな家々から飛び出して噪ぎました。担ぎ出されたのは梯子と竹竿ばかりでなく、水弾《みずはじ》きや、槍、長刀《なぎなた》まで担ぎ出されるという有様です。米友はよく屋根の上を走りました。或る時はこれ見よがしに直立して走りました。或る時はそっと身を沈めて走りました。
「ばかにしてやがら、手前たちをこっちは相手にしねえんだぞ、相手にするほどのやつらでねえからそれで相手にしねえんだぞ、俺らが逃げりゃあいい気になって追蒐《おっか》けて来る手前たちの馬鹿さ加減の底が知れねえや」
こう言って米友が立ち止まって息を切った。屋根の上から下を見ると、家並《やなみ》はそこで尽きて足許は二の廓の堀の水。屋根から垣へ足をかけた米友の姿は、これもどこかの闇へ消えてしまいました。
四
何事か起るべ
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