した。能登守の立っている姿よりも、奥方の立ち姿がお君の的《まと》になっているのであります。
お君の姿がこの奥方の姿に似ているということは、能登守もそう思うし、家来たちもそう思うし、お君自身もまたそう思わないではないし、ことにお銀様の如きは、これがためにあらぬ嫉妬《しっと》を起して、それは弁解しても釈《と》けないことにまでなってしまいました。
「わたしも、明日からこの奥方様の通りに、片はずしに結《ゆ》って、この打掛を着てもよいと殿様がおっしゃった。奥方様がいらっしゃれば、奥方様の方からお許しをいただくのだけれども、ここでは殿様のお許しが出さえすれば、誰も不承知はないのだから、わたしは明日からそうしてしまおう。でも人に見られるときまりが悪い、御家来衆はなんとお思いなさるだろう。そんなことはかまわない、この家来衆よりもわたしの方が身分が重くなるのかも知れない。ああ、わたしが片はずしの髷《まげ》に結って打掛を着て、侍女を使うようになったのを、伊勢の国にいた朋輩《ほうばい》たちが見たらなんというだろう。わたしは出世しました、わたしは恋しい恋しいお殿様のお側で、お殿様の御寵愛《ごちょうあい》を一身に集めてしまいました、わたしのお殿様は世間のお殿様のような浮気ごころで、わたしを御寵愛あそばすのではありません、奥方様よりもわたしを可愛がって下さるのです。わたし、もうお殿様が恋しくて恋しくて仕方がない、わたしの胸がこんなにわくわくしてじっとしてはいられない」
お君は鏡台の前に立って悶《もだ》えるように、手を高く後ろへ廻して髪の飾りを取って捨てると、髪を振りこわしてしまいました。たった今、片はずしに結《ゆ》ってみたくてたまらなくなったからです。
お君はついに髪を解いて、そこで自分から片はずしの髷《まげ》を結ってみようとしました。櫛箱《くしばこ》を出して鏡台に向ったお君の面《かお》には、銀色をした細かい膏《あぶら》が滲《にじ》んでいました。お君の眼には、物を貪《むさぼ》る時のような張りきった光が満ちていました。
無教育な故にこの女は単純でありました。賤しい生れを自覚していたから、物事に思いやりがありました。今となってはその本質が、ひたひたと寄せて来るほかの慾望に圧倒されてしまいました。可憐《かれん》な処女の面影が拭い消されて、人を魅《み》するような笑顔《えがお》がこれに代りました
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